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発達障害児の愚痴とかんしゃく

かつて毎日のようにかんしゃくを起こし、暴れまわり、パニックを起こし他人と共に居ることが難しく、学校にもいけなくなってしまった、発達障害児、次男。現在、小学4年生になりました。今では、驚くほど、愚痴らないし、かんしゃくも起こさなくなり、大好きな趣味と、楽しい仲間たちと共に快適な生活を送っております。

愚痴が止めどなく溢れ、かんしゃくやパニックを起こしていた頃と今とでは何か違うのか?

それは、全体像が分かってきた事、対処方法を学んだ事、長く悩みや愚痴、パニックやかんしゃくの世界にいる事は疲れることだと知ったこと。さらに、やりたい事をやる時間がなくなってしまうこと。そして、周りの同級生たちも成長したことです。

幼児〜低学年の子どもたちにとって、自分という器は快適なものではありません。単に体が大きくなる事で解消してしまうような物理的な問題も多くありますが、ある程度の訓練や練習、習慣や考え方など様々な事を学ばなくてはなりません。そうした生活する上で基盤となってくる事柄をマスターするまでにかなりの労力や時間がかかります。

この時にかかる負荷に耐えられず、たいていの子どもたちはかんしゃくを起こしたり、泣き叫んだり、暴言をはいたり、物を投げたり、誰かを叩いたりと様々な表現で自分を保つ努力をしています。

魔の2歳児などという言葉が生まれてしまうほど、それはとてもすさまじいものです。子育て中の親御さんはご苦労が耐えない事と思います。

お母さんの体は、泣き声に対してとても敏感ですから、小さな子どもが泣いていれば、体が反応する様にプログラムされてしまっています。産まれたての赤ちゃんの頃はそのプログラム通りに従うことが、子どもを守る最良のシステムとなりますが、2歳の頃にはだんだんと悪さをするようになります。性に従っているだけでは自分の精神状態を保てなくなりますし、子育ても上手く行かなくなっていきます。子どもの年齢が上がるほどに不具合を感じるお母さんも多いのでは無いでしょうか。

三歳児神話や、お母さんは太陽のようにニコニコ笑っていなくては!といった事は、目の前の子どもに何の責任も無い人だから言える絵空事です。

子どもたちが通った保育園の保育士さんに、『いつも良くしていただいてありがとうございます。』とお礼を伝えた所、こんなお話が返ってきた事がありました。

『これはお仕事だからできることなんです。うちにも子どもがいますが、我が子にはどうしてもできないのですよ。』

その時の保育士さんの顔を私は忘れることができません。保育園の先生だからできる事と、お母さんとしてできる事は違うのです。

お母さんにはお給料は出ませんし、子育て中は全ての責任を親が取らなくてはなりません。よその子が失敗したりマナーを守らなかったりしても、かわいいなぁで済ませれるのはそこに直接的な責任が無いからです。

我が子には責任もある、労力もかかる、お金もかかる。それゆえの愛おしさがあるけれど、カチンとくる場面は無数にあるし、イラッとする事だらけです。『ニコニコ笑っていた方がいい』なんて事を平気で言える立場になりたいよ…と何度思ったことでしょうか。

けれど、私は育児はとても楽しいと思える法則を見つけたのです。色々あるけど総合してみれば育児とは楽しいもんだ♫(о´∀`о)幸せだにゃぁ。とか本気で思えちゃうし、子どもたちにも言っちゃいます。

子どもがかんしゃくを起こしたり、イヤイヤ嫌事いったりしていても、それでもそこに楽しみみたいなものを見出す。いつだって子どもと一緒にいるのだけれど、責任も重大なんだけど、睡眠不足だし、体力も限界なんだけど、それでも楽しい♫と思える。

なぜ楽しめるようになったのか?それは、見ている視点を変えた事で起こった副産物でした。まるで幽体離脱したかのように客観的に状況を捉えることができた時、なんだか面白くなってくるのです。何やってんだ?と呆れることもあるし、( ゚д゚)ハッ!もしかしてコレが鍵なんじゃない?!なんていう気づきがあったりもする。どのピースと繋がるのだろうと様々なピースを試してみるのも楽しみの1つです。


例えば、ドラマや映画なんかのエンターテイメントは、お話しの当事者じゃなくて責任も何も無いただの視聴者だから気楽に楽しめます。

子育て中の親として、正面からしか向き合っていないとしたら全然楽しめる要素なんてないと思うのですよ。当事者という責任や苦労に押しつぶされて、あっという間にキャパオーバーを起こして、子育てが苦しいだけのものになってしまう。

処理流暢性といって、情報の処理の仕方が簡単なものや、情報量が少ない物は、処理しやすく受け入れやすいという特徴が脳にはあるわけですが、客観的に物事を捉えるというのは非常に脳への負荷が少なく済む分、理解が進んだり受け入れやすい体制を作るのに適していると思います。

正面から怒涛のような情報で精神を刺激されまくる状況から、たった一歩離れただけで、脳への負荷はとても減るのです。気にしなくてはいけない事〜ついつい感情的に反応してしまうこと、その後に待っている家事や予定etc…とにかくたくさんありすぎな情報から、対応する必要のある情報とそうではない情報の区別がつくようになる。すると考える余裕が生まれます。余裕があれば、考える事も、楽しむ事も可能になっていきます。

離れすぎてしまえば共に楽しむという事はできなくなる。もっと家族と過ごせば良かったなんて後悔は、私はしたくなかったので、距離感や視点には気を使います。当事者でありながら、客観的な見方をする事は、謎解きゲームに参加しているようなちょうど良い負荷となってゲームを楽しむことができるのです。

毎日一緒にいるけれど、脳への負荷を下げ、心や体を整えながら、子育てを楽しんでいく。これが私がしてきた子育ての方法です。ちょっと言いにくい事なんかも含めて、方法論を有料記事にまとめております。特に扱いの難しい、愚痴とかんしゃくへの対応方法が変わると、親も子も双方にとってずいぶん楽になるのではないかと思います。

質問コーナーもやっております。もともと長かった記事が質問にお答えしながら、さらに長くなって来てしまっておりますが、長文でも読んでやってもいいよ!という方がおられましたら、ご検討のほどよろしくお願いします♫子育てに関するご質問もお待ちしております〜。




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