結石を鎮める儀式を編み出したかもしれない話
どうも、手の甲ゴワゴワおじさんです。
東京でも雪が降って、とても冷え込んできましたね。
僕が結石の恐怖に耐えかねて暴れ狂ったのも、寒い日の朝のことでした。
というわけで、結石の思い出を語っていきたいと思います。
2回やりました
さて、見出しのとおりです。
結石2回、やらせていただいております。よろしくお願いいたします。
第1回
記念すべき結石とのファーストコンタクトは、僕が大学生になりたてのころに遡ります。
僕は未成年で結石をやっているのです。才能あるでしょ?
ぶっちゃけ生活習慣の問題だったのですが……そもそも結石ができやすい体質だということが判明するきっかけでもありました。
夏の教習所
僕は大学入学後さほど経たないうちから教習所に通っていました。車が好きで早く運転をしたいと思っていたので、すぐ申し込んで通い始めました。
文系大学生で単位もそこそこに時間を持て余していた(翌年度から更にそうなるのですが)僕は、順調に学科も実技もこなし、7月初旬には卒検と本チャンの試験を残すのみとなりました。
卒検の日は7月最高くらいに暑くて、快晴そのものでした。僕は一番気温の高い13:30という時刻(まだ覚えています)の枠で、「あっちいな~」とか思いつつ、しかしミスしてしまわないかと緊張もしつつ、教習所へ向かって自転車を漕いでいました。
学科試験でもないのに標識のおさらいなんかをしていたら家を出るのが遅くなってしまい、けっこう急いでいたため到着時は随分汗をかいていました。なんとか間に合った僕は、ノンストップで本日の教習車に乗り込み「喉乾いた……」と飲み物を買わなかったことを後悔しながら教官を待っていました。
ジワジワ
僕の他にもう一人同乗者がいて、少し年上の男性でした。
教官が来るまで少し話したのですが、建築の仕事をしているそうで、それまで免許なしでやってきたがどうにも不便が多く、お金も貯まったので取得を決意したとのことでした。
実家住まいでへらへら大学生活を謳歌し教習代まで親に出してもらっている身としては全くもって返す言葉もなく、苦し紛れに「会社の補助とか無いんですか?」と尋ねたところ
と思い切りウィークポイントを突いてしまい、自分のコミュ力の低さを痛感しました。
そのとき丁度教官がドアを開け、「助かった」などと失礼な感想を抱いたところで「まず◯◯さん、で終わったら路肩止めて交代ね」との指示。僕が後手番でした。
前例を見学できてラッキー、と喜んでいたのですが、この時すでに腰の違和感が出てきていました。表現が難しいのですが……「腰が張ってる」感じでしょうか。いつからか正確なところは思い出せませんが、自転車を漕いでいる段階でなんとなく意識してはいました。
まだそんなに痛くはなくて、どちらかというと長時間座り続けたときのこわばりに近い感覚でした。ですので「交代のとき一旦降りるから、そんとき伸びでもするか」くらいにしか思っていませんでした。
激痛
一通り説明が終わり先発男性が走り出したくらいで、明らかにおかしいと気づきました。
なんか、けっこう痛くなってきている。あと、ちょっと苦しい。
ギュワ~~と左腰(僕は左でした)を万力で締め上げていくような感じ。ほどなく背中の真ん中くらいまで痛くなって、なんなら腹やみぞおちのほうにも来ていて、気持ち悪ささえある。
腰痛と腹痛と風邪が同時に発生しているように感じました。
「治まってくれー」と願うも空しく座っているのも難しい状態に差し掛かったところで先発男性が卒検完了。教官は冷や汗を噴出させながら体を捻じ曲げている僕に気づいていたようで
と、おそらく出せるギリギリのハイスピードで教習所に戻ってくれました。先発男性の卒検には絶対水を差したくなかったので、検定完了を待った教官の判断(だと思います)には感謝です。
道中ふたりとも心配して色々声をかけてくれたのですが、経験したことの無い激痛にもがき苦しんでいた僕は何と応答していたのか全く記憶がありません。
ただ、車を出すときに教官が「ヘルニア?」と訊いてきて訳も分からず「はい」と答えたためか「急病とかではない」という感じになり、「運が悪いね、このタイミングで痛くなるなんて」と僕を慰めるフェーズに移行していったのは確かです。まあ結果論ですが救急車とかの騒ぎにはなりませんでした。
教習所に戻り、なんとか手続きをして(「事情が事情なので」ということでこの日の卒検はなかったことにしてやり直しさせてもらえました。感謝)外に出たものの、自転車に乗る気力は残っていませんでした。
情けない話ですが家に電話し、車で迎えに来てもらいました。
父親は当時を
と振り返っています。全く覚えていません。
帰宅してベッドに横たわった瞬間、力尽きて意識が遠のき、目が覚めたのは夜でした。
痛みから解放されたとわかり、誇張などではなく泣きました。
病院へ
とりあえず家族に治ったと言いに行ったところ、父親から非常に重要な情報が出てきました。
なんと、父親は結石経験者だったのです。
腰の違和感から始まり胴体全域に至る激痛&風邪のような気持ち悪さについて話すと
とポツリ。
いつ再発するかもわからんぞ、との脅しにすっかり怯えた僕は近所の泌尿器科を最短日時で予約しました。
病院で同じように症状を話すと
???軽い???
?????あれが?????
検査をするかと思ったのですが「一旦様子見、後日再診」で、特に治療もしないとのこと。ただし尿が多くなるようたくさん水を飲むべしと指示を受けました。
また痛くなったらどうするのか訊いたら「我慢できなきゃ鎮痛剤を飲んで、とりあえず病院に来て」と返され「もう痛くなりたくないなあ」と思いながら帰宅。
1週間くらいがぶがぶ水を飲みながら生活していましたが、とんでもない量を排尿する以外は問題なく過ごせました。
石が出てきたら捕まえてやろうと思っていたのですが、大学のトイレで盛大に放尿していたところ「……キンッ……」と非常に小さい跳ね返り音が聞こえ、あ!と便器を覗いたところ、すでに流れた後でした。まあ実物見てないんで気のせいかもしれませんけど……
で、そうこうしているうちに卒検も無事終わり(ちゃんと自転車も回収し)、また病院へ。
お医者さんにアレコレ問診されたり、尿を検査したり、色々しましたが結局「できやすい体質なのもあるが、そもそも生活習慣がかなり悪いし、水分が全く足りていない」のが原因でした。
大学生になり、バイト代も入り「外食」へのハードルが下がった僕は、
「朝マック→昼家系ラーメン→夜二郎」
というバカみたいな食生活に堕ちていました。「二郎は野菜マシマシにするから健康」とか本気で言っていました。
そういう不摂生の極北に居続けたおかげで結石は準備万端だったところに、猛暑&水分補給ゼロのコンボでめでたく激痛スタートと相成ったわけです。
結局怠け癖がたたり食生活の見直しはせず、水分補給のみで解決したためダイエットを始めるにはもうしばらくかかるのですが、またそれは別のお話。
第2回
あの夏の激痛以来、僕は何年も水分補給を欠かさずに過ごしてきました。
やはり痛い思いをすると物覚えが良くなりますね(危険思想)。
です、が……
また、やってしまいました。
冬のホール
時は流れて僕はなんとか社会人になり、就職して早数年経っていました。
結局僕の暴飲暴食(まあ水はたくさん飲めとのことでしたが)は続いており、年齢を重ねるほど体重も増えるという悪循環にすっかり嵌っていました。
そこからなんやかんやあってダイエットを成功させたのですが、体重が30㎏も落ちた喜びと、胃が小さくなり少量の飲み食いで満足できるようになった達成感で「それはそれとして水はこまめに摂り続けなければならない」ということを完全に放念してしまったのです。
1月末、我が社は都内ホテルのホールで行われるカンファレンスの準備で大わらわでした。僕はなぜか司会進行をすることになってしまったので、準備するだけではなく台本を作らなきゃだし、普段の仕事は普通にあるし、そもそも年末年始は忙しいし、てんてこまいでした。
ゆっくり座る時間も無く動き回る一方で、とても寒い時期だったためか殆ど水を飲みたいと思わず、一滴も補給なしで夜まで過ごすことが何度もありました。
そして当日。
肝心な時に電車が遅延し、余裕を持って出発したつもりがかなり危険な時刻に。電車を降りたら猛ダッシュしました。
息も絶え絶えでホテルに着き、エレベーターで呼吸を整え、何食わぬ顔で会場入り。「全然さっきからいましたけど?」みたいな顔で準備してきたものを並べていたら、腰に
あ。
これ、あれだ。
数年前のあの苦痛が、昨日のことのように思い起こされます。
やばいぞ。
このままじゃ、また蹲るぞ。
抵抗
でも、今はマズい。いや前回もまあまあマズかったけど、今度はさすがに苦しんでる余地が無い。
これから演台の前で一日しゃべるんだぞ。
現状痛みですらなく「なんとなくこわばってる」程度なのですが、もう僕は未来が見通せているため、既に滝汗です。
冬なのに。水分足りてないのに。
ここ数日を走馬灯のごとく思い起こしますが、水を飲んだ記憶は一向に出てきません。直近の自分を呪いながら僕は自動販売機を探しました。
辿り着いた自販機で僕はおーいお茶500㎖を3本買いました。
とにかく、尿がしたい。
たくさんしたい。
早くしたい。
藁にも縋る思いでキンキンに冷えた緑茶をイッキ×3して(本気出たらすごいことできるんだなあと今は思います)、尿を待ちます。
そりゃ飲んだものが即座に出てくるわけはありませんが、でもそんな理屈をこねている余裕はありません。とにかく尿意を加速させなければ、石を動かさなければならないのです。
ただ、現状結石が予断を許さない場所にいるのは変わりません。
もう違和感は痛みに進化してきていました。
なにか、もう一手を打たなければ。
そうだ!
追い詰められた僕には名案と思えました。
非常階段に出て、僕は階段でジャンプを始めました。
これたぶんめちゃめちゃ関節に悪いと思うので全くオススメしないのですが、ジャンプして着地するとき、膝を一切曲げないで、かかとから落ちる。
全身で重力加速度を受け止める。そうすることで腎臓を思いっきり揺らす。
20連ジャンプを決めたところで「横方向もだよな!」と勢いが増し(完全にどうかしていました)、踊り場で横になり手すりを掴み、梯子を登る要領で階段を寝ながら滑り落ちました。
※ウィキペディアの「手摺」にあるトップ画像がピッタリだったのでリンクしておきます
どがっどがっどがっドドド(ケツが段を落ちてゆく音)
生還
打撲とか骨折をしていてもおかしくないレベルの奇行を繰り返していると、
「フッ」と痛みが消えました。
当の僕が一番驚きました。あれ?痛かったよね?痛いのはどうした???
ゆっくり立ち上がり、ケツスライドしてきた階段を登ります。
全く痛みはありません。ケツは頗る痛いですが。
もしかして、結石がズレたのか。
そうだ。ズレたんだ。
嬉しくて泣きそうになりました。時間が迫っていたので我慢しましたが。
奇行の余波でスラックスの尻ポケットにあるボタンが取れてしまいましたが、この際どうでもいい。石が取れたならボタンくらい取れる。
こうして、僕は無事に司会をこなすことができました。
昼過ぎくらいから異様にトイレに行ったのですが、もう嬉しくて嬉しくて、ニコニコしながら放尿してましたね。
結石を鎮める儀式
というわけで、因果関係のはっきりしないところは大いにありますが、負傷も厭わない捨て身の行動によって危機を脱したのかもしれません。
もう結石はまっぴらごめんですが、もし3度目が訪れてしまったら。
再びこの儀式を執り行いたいと思います。
もし階段からおっさんがケツで滑り落ちてきたときは、どうか結石に勝てるよう応援してください。
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