監督から母へ。その1

『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 〜空と木の実の9年間〜』監督の常井美幸です。これから、主人公のお母様の小林美由起さんと、9年間のできごとを振り返っていくエッセーを始めます。同じできごとでも、私から見たあのこと、母から見たあのことは違っているはず。

まずは私から。

もともと映画を作ろうと考えていたわけではありません。映画を作ることがこんなに大変だって知っていたら、作ろうと思わなかったと思います。

ただこの20年間、映像を作る仕事をしてきて一番伝えたかったことは、この世の中(特に日本社会)の価値観を広げたいという自分の思いでした。決められた価値観の中で生きることが苦手な私は、世の中の価値観が広がれば、私が生きやすい世の中になるのではないかと思ったのです。私が生きやすい世の中は、きっと誰にとっても生きやすい世の中であるに違いないという考えは、ただの私の独りよがりかもしれません。でもそう信じることが私の原動力でした。

そんななか、性別に揺れている子供たちのことを知ったのです。2010年のことです。当時すでに「性同一性障害」という言葉はここ日本では広く知られていました。でも私の頭の中では、小・中学生という、まだ自我も確立していない若年層の方々が直面する大変さに思いを馳せることはありませんでした。うっかりしていました。

私は小学校高学年や中学校時代、とても辛い思いをしていました。どうしても教室で浮いてしまうのです。なぜだか理由もわかりませんでした。性別というのは人格の根幹ですから、性別さえ揺れている子供達は私以上に辛い思いをしているだろうと思いました。彼らのことを伝えたいと思いました。性別のありようがほんのちょっと異なる子供達を描くことで、世の中の価値観が少しでも広がればいいなと思ったのです。

そして出会ったのが女性として生まれ、男性として生きたいと希む小林空雅さんです。その出会いはとても強烈でした…

川崎に住む当時15歳の小林空雅さんと会ったのは2010年8月のこと。甘いものが好きだと聞いていたので、駅前のケーキがおいしいカフェを指定しました。母親に付き添われて現れた本人を見て少なからず驚きました。とてもかわいい魅力的な子だったからです。

その後数十人の性別に揺れている人たちに会うことになるのですが、共通して言えるのはとても魅力的で人格が深い方が多いということ。性別は人格の根幹ですから、その根幹が揺れていることによって、人一倍「自分とは」「自分らしさとは」ということを深く考えている人たちだと思います。深い悩みをもつことで、優しさも兼ね備えている方が多いと思います。そしてその魅力は表面にも表れていることも多いのです。

ただ、そんなことを知らない当時の私は、テレビ局に雇われているディレクターでしたから、空雅さんを見て浅はかなことに、「これは良い被写体になるな」と思っただけでした。

男の子とも女の子とも言えないとても不思議な魅力。女性の遺伝子を持っているからか、とても肌がきめ細やか。一部メッシュを入れたさらさらな髪。ファッションからもセンスの良さが滲み出ていました。表情はまだ暗く、ときおり視線を下げながら話します。それがまたういういしくて、共感を呼びそうだ、と。

当時の空雅さんは、まだ自分の思いを言葉ではっきりと表現できるほどの語彙をもっておらず、たどたどしく話していました。それでも「全国の同じ悩みを持つ子どもたちの助けになれば」と自分のことを伝えたいという強い意思を感じました。名前も顔出しも大丈夫だと言う。そして自分にはタブーはないから、なんでも聞いてほしいと言う。私はまた浅はかなことに「理想的な被写体と出会った」と思いました。

そのときは、まさかそれから10年間のお付き合いになるとは思わず、そして被写体と捉えていた子どもが、その後、自分が本当に伝えたいことを伝えるための同志になっていくとは露ほども想像しなかったのです…

byとこちょ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?