監督から母へ。その2

監督とこちょ。と主人公の母くみちょ。によるリレーエッセイをお送りしています。監督から母へ。その2は、とこちょ。から、初めてのロケの様子をお伝えします。

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映画の主人公、小林空雅(たかまさ)さんと出会ってから半月後、はじめての撮影を2010年9月16日に行うことになりました。空雅さんが通っていた川崎市立御幸中学校でのロケでした。女子として扱われる学校生活が辛くて登校拒否になっていた空雅さんは、自分の生きづらさの原因が性別にあると気づき、男子生徒として通いたいと申し出て、中学校から認められたのです。

ロケ当日、私はかなり緊張していました。15歳の子どもとどう会話すればいいんだろうーー子どもを授からなかった私は、子どもと接する方法がわかりません。

想定していた質問は5つ。

1.当時一番つらかったことは何?

2.誰かに相談できた?

3.トイレはどうしてた?トイレに関する学校の取り組みをどう感じた? 

4.いま男子生徒として通っていますが、いまの気持は?

5.同じように悩んでいる子どもたちに何を伝えたい?

特にプロデューサーからは、男子トイレ/女子トイレのどちらを使っていたのかしっかり聞いてこいと言われていました。空雅さんがきっかけとなって、男女はもちろん、どんな生徒でも使える「だれでもトイレ」がこの中学校に加設されたと聞いていたので、空雅さんの勇気が学校という現場の意識を変え、具体的な施策につながったことを描くためです。

性別が揺れている子どもたちにとって、男女別の生活を強いられることの多い小・中学校生活はとても辛いものだと言われています。当時岡山大学の中塚幹也教授らが行った調査によると、4人に1人が不登校になり、さらに自殺を考えたことのある人は7割近くにも上るそうです。その辛さの原因を、針間克己精神科医は「制服、体育の授業、水泳の授業など男女の区別がはっきりしているのが非常に苦痛である。思春期で体が変わっていくので、自分のいやな身体に変化していくのも辛い。恋愛もし始める時期なので、周りは異性が好きなのに、自分は同性が好きということで周りと異なるなど、いろいろ辛いことが重なる時期」と映画の中でも解説してくれています。

空雅さんは、そんな辛さを解決するため、勇気をもって自分をオープンにした。そしてその勇気が学校を変えていった。このことを伝えれば、全国の悩んでいる子どもたちの励みになり、学校の取り組みも日本中に広がっていくのではないかと私は願っていました。

さて、トイレの質問。私の頭のなかでは「空雅さんは女子トイレを使っていたけど辛かった、そこで学校に訴えてだれでもトイレを作ってもらった…。」というストーリーを勝手に作っていました。

「どちらを使っていたの?」という私の質問に、空雅さんの答えは「トイレは使っていなかったですね」

「(…????あれ、使っていなかったのか…?)え、どうしてたの?」と聞き返すと、

空「トイレ行きたい気持ちがあんまなかったから」

「(トイレ行きたい気持ちってどういう意味…?頭のなか小パニック)じゃ、我慢してたの?」

空「我慢というか、あんまりトイレに行く気分にならなかったです」

「(トイレに行く気分って何????)ふーん」

頭フル回転でその答えの意味を理解しようとしましたが、次の質問を投げかけられず。そのとき私はやっぱり、15歳の子どもとコミュニケーションをとることは難しい…としょげかえっていたのでした。

ところがその2年後にまた空雅さんと出会ったとき、「被写体の子ども」という私の認識はすっかり変わることになるのです。。。(続く)

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↑こちらは、お母様に突然ご連絡したメールへの返事(2010年8月30日付)私からのメールは残っていません…。

byとこちょ。

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