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新潮社校閲部 渋谷遼典さんからのレビュー

【感想を送ってくださった方】渋谷遼典さん
新潮社校閲部。


一気に観た。コロナで映画館が閉まり、宣言下には配信で映像を観る機会も多かったが、注意が散漫になりがちで、配信で見るのは自分には向いていないと思った。しかし、これは一息に、じっくり観た

語弊を恐れずに言えば、面白かった。立場的にも、体験としても、これが髙木佑透にしか撮れない映像であることは間違いない。『僕とオトウト』はもちろん弟さんをめぐる映画なのだけれど、同時にその傍らにいる兄自身のドキュメントでもある。観る人を監督の揺れる感情や視点のうちにちゃんと引き摺り込むだけの魅力が、この作品には確かにありました。

これは単に「障害者」を撮った映画ではなく、生命力に溢れ唯一無二の人生を生きている壮真くんと、彼の障害に向き合いつつ、共に生きることを模索する髙木佑透の、髙木家の映画になっている。肉親だからこそ、「障害者」という抽象的な存在への距離じゃなく、愛する弟への肉体的な近さのようなものが確かにあり、だからこその苛立ちや葛藤や哀しみが、映像から、監督自身の表情からすごく伝わってきました。等身大の壮真くんの姿もよく伝わってきたように思う。

だからこそ、彼を理解できないことのもどかしさもすごく感じた。伝わっているということが感じられた瞬間や、彼の考えが少しでも見えたように思えた瞬間は、観ている僕も自分のことのように嬉しくなった。畑のシーンで壮真くんを担当の方が丁寧に観察して、守るようなことを言ってくださっていたのには、こそぐったいような嬉しさを感じました。

監督の家族への細やかな向き合い方が映像に現れていたというのもあるが、編集の妙も確かにあったように思います。まず、この映画には自主映画にありがちなテンポの悪さ、見にくさがほとんどない。とても自然なテンポで、場面の切り替わりも心地よく、観ていてほとんど違和感がありませんでした。単なる記録映像ではなく、間もあれば流れもある、これはきちんと映画になっていると感じました。

壮真くんにカメラを向けることには、髙木監督のことだから、おそらく凄く葛藤があったし、多分今でもあるんじゃないかと思う。それは、見終えてこの五十分はほんとうに必要な時間だったと感じられている僕にもある。普段映されることのないものを観るという、暗い欲求に衝き動かされて画面を追っただけなのではないか。カメラというものの暴力的な非対称性を享受する立場にあることの暴力性をどう受け止めるべきか

多分これにきっぱりと正しい解答を出すことは出来ないと思う。しかし同時に疑い得ないのは、この映画においてカメラは理解のためのツールとしてほんとうによく機能していて、監督自身が撮影を通じて理解していったことがはっきりある、そしてそれが観客にも伝わり得るだろうということて。避け得ない暴力性を考慮してもなお、僕はやはりこの作品を観られて善かった、と言いたいと思う

(編集担当:うえだ)


【上映委員 クチコミ】
荒木さんはお酒を飲むと、顔が赤くなりやすいそう。私はお酒のことをあまり知らないから、いろいろ教えていただきたい。

「僕とオトウト」公式サイト  https://boku-to-otouto.com   
お問い合わせ bokutootouto@gmail.com

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