「朝と霧」と真っ赤な紅葉。とても幻想的。から思い出す「夜と霧」の恐ろしさ
昨日の朝、歩いていたら霧がどんどん濃くなっていく。
前がよく見えない。とは言っても怖くはない。映画ではないからね。
霧の中からは何も出てこないでしょう。
寒さはそれほどでもない。だから霧が立つのでしょう。
そして風もない。だから霧が留まるのかな。
すると開けた場所に真っ赤に紅葉した木がひとつ。
白くて暗い、そんなオクシモロンの中で、真っ赤に際立っていた。
「朝と霧」。そして紅葉。とても幻想的で美しい。
スピルバーグの「シンドラーのリスト」の一場面をふと思い出す。白黒画面に真っ赤な服を着た少女だけがカラーで表現される。
と同時に、「夜と霧」を思い出す。
幻想なんて言っていられない。
「夜と霧」はヒトラーの機密指令(総統指令であり法律)の通称。ドイツおよびその占領地域での抵抗勢力・政治活動家などは容赦なく捕まえられ、収監され、まさに夜霧のように消えていった。6000‐7000人。多くが無残にも亡くなったのでしょう。
そして、ユダヤ人心理学者のV.E.フランクルのアウシュビッツ強制収容所での体験を記録した、人生で一度は読むべきなんて称される著書の日本版のタイトルも「夜と霧」(霜山徳爾訳、みすす書房、1961年)。
オリジナルのタイトルは直訳で「ある心理学者の強制収容所の体験」ですが、訳者がヒトラーのこの指令をタイトルとして採用したのです。オリジナルのタイトルは邦題のサブタイトルで「ドイツ強制収容所の体験記録」と表現されています。
この本は、この総統指令あるいはその影響が内容ではありません。強制収容所での地獄のような日々の話。写真が本の後ろに載っていますが、目を覆うような恐ろしい画像です。
アウシュビッツで殺害されたのは110万人ほどとのこと。2023年の総務省の統計で人口が110万に満たない日本の都道府県は14県あります。県が1つ、2つ消えちゃうのです。。。
人間を平気で虫けら以下のように扱う人間。人間の非情な企て力と、指示を受けて無慈悲に実行できる人間の無責任さが恐ろし過ぎる。
新版が2002年に出ていますが、新しい訳者さんが、
「このたびも、日本語タイトルは先行訳に敬意を表して『夜と霧』を踏襲した。これは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回しだ。」とのことです。
この本は、上述のような悲惨さのみならず、人間の強さ、極限状態で生き抜く力、精神力を伝えてくれるのです。感動してしまうのです。
さて、初版の訳者である霜山徳爾さんがあとがきでこう記しています。
本当ですね。ひとりひとりが戦わないとですね。国のリーダーなんて呼ばれるひとやらなんやら、そんな誰かを鵜呑みにしたり、闇雲に信じて付いていったり、頼り切ったり、なんてダメですね。
所詮、その人たちも一人の弱っちい小さな人間。知力・能力などなど大した差はないのです。利己的に動いている可能性も大いにありえる。
気付いたら蛇と戦うどころか、蛇になっていた、なんてことがなきように、自で考えて、考えて、考えて、そして行動したいですね。
お読み頂きありがとうございます。
(v9_93)