見出し画像

「環境次第で自分は非情な悪人になりえる」という心構えが大切

自由からの逃走、という本を読みました(「自由からの逃走」エーリッヒ・フロム著、日高 六郎)。ナチスに導かれる大衆の話。どうして当時の中産階級がヒットラーに惹かれたのか。その歴史的背景、大衆心理を説明しています。

第一次大戦後で経済的(=社会的威信)打撃を受けた中産階級ではこの自由が不安要素に。見捨てられた孤立・孤独・不安が蔓延。中世からの経済発展で、社会には一定の自由が広がった。君主制、宗教、伝統的な道徳の権威、家族に縛られていた中世の安定(=選択の自由は無いが自分の職業はコレ、居場所はココ、守るべきはコレ)から解放され自由に。でも、それはつまり頼れるのは自分だけという不安定な状態。そこへ経済不安で、残ったのは不安だけ。

だから、強い者に惹かれ頼ることで安心を得る。見捨てていないよ君の居場所はココ、と言われて安心する。やることはこれ。指示は絶対だよ。そして弱い者をいじめる。誰かを支配することは未経験だったが今やできる、その喜び。「非情が心地良い」。

みたいなことでしょうか。難しくて、ちょこちょこ読んでいたら、1年ぐらいかかってしまった。。。

で、思ったことは、怖いなぁ。もしかしたら、そんな環境になったら自分もそうなるのかな。こんな時代に生きていたらそうなっていたのだろうな。。。偶然にも現代で良かった。。。でも、現代でも何かに影響されたら一気に悪人になってしまうのかな。非情が心地良くなるのかな。

この本を読み終わったので、今度は「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著、倉骨 彰訳、草思社)を読み始めたのです。ピュリッツァー賞を受賞した、人類史の本です。2000年のだいぶ前の作品です。アメリカ大陸の先住民はなぜ旧大陸の住民に征服されて、その逆ではなかったのか。今の技術や富の「地域格差」を生み出した経緯を探っています。ま、ちょっと長い本ですね。読み切ってみようかと。。。

で、人類がアフリカ大陸からユーラシア、オーストラリア、南北アメリカ大陸に移動すると、そこに住んでいた動物を絶滅させていった、との説明がありました。違う説もあるらしいのですが、著者の説明は説得力があります。

アフリカに大型動物が残っているのは、人類とずっと一緒に暮らしていたから、「何百万年もの進化の時間を初期人類と共有し、人類を恐れることを学習したためである。われわれの祖先は最初は稚拙だった狩猟技術を長い時間をかけて上達させていき、その間に動物たちは人間を恐れることを学んだのである。」(同書)

でも、他の大陸は違いますね。突然、人間が来たので動物たちは絶滅です。ちなみにアメリカにもゾウやライオン、ラクダもいたのですって。

今や「世界の大型動物(体重が数キログラムを超えるもの)の9割以上が、人間か家畜だ」「世界には4万頭のライオンがいるのに対して、飼い猫は6億頭を数える。アフリカスイギュウは90万頭だが、家畜の牛は15億頭。ペンギンは5000万羽だが、ニワトリは200億羽に達する。」(「ホモ・デウス」ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田 裕之訳、河出書房)なんてのも思い出しました。

なんだか怖い。当時は知識もないし影響度もわからないから、ガンガン殺したのでしょう。現代だって自分が動物絶滅、環境破壊などの一翼を全く担っていないのかと問われればそんなことはない。でも、何らかの行動はできない自分。。。弱いのか、諦めか、無関心か。スタンスも決められない。結局、当時の無知な人類と自分は同じなのだ。ある意味、非情なのか。。。

高校の先生か大学の先生か、忘れてしまったのですが、日本人が太平洋戦争でしたこと、戦争に突き進むプロセスでしたことと、もし現代においても類似のことが起きたら、自分も同じ日本人、繰り返すかもしれない。その危険があるかもしれない。そう思うことが大切だと思う、的なことを言っていた。上述のような本を読むと思い出す。

「自分は大丈夫」「そんなことはもう現代では起きない」ではなくて、「起きえるし、自分だって危険だ」と思うようにしたい。こう思っていても、非情の心地よさに陥らないかはわからないけど、そう思うしかない。

職場なんて「非情」を心地良く思うことが日々起きますものね。。。「経営者とは、悪いことができるけど、悪いことをしないひと」なんて言われる。が、ボクの経験的には「経営者は悪いことをしているのに無意識で気づかない。あるいは、気づいたらもみ消したくなる」。多くが非情に陥る。

そうはならないぞ。そう思った土曜の午後でした。

職場を良質にするコンセプトv6_19
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?