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新年。仏壇に挨拶。ふと今年の抱負が浮かぶ。”不思議な人”になろう!?

新年。まずは仏壇を前にご先祖様にご挨拶。りんを鳴らすと不思議に心が洗われる。誠実であろう、がんばろう、良きひとであろう、なんてこんな良い言葉が浮かぶ。りんの音。不思議なチカラを持っています。

母が父が、祖父が祖母が、そしてご先祖様がそれぞれに子を産み、育ててくれたから、ボクがいる。いつの時代も厳しい。戦争や病気、そんな苦労の中、生き抜いてくれたから。諦めなかったから。

ふと目に入る「百万塔」。そして「洗心」、妙心寺の管長の書。

ボクは仏教徒ではありません。無宗教ですが、日本にいると時々に仏教の習慣に接します。そして、心が洗われると同時に学び多し。子供の頃には何とも思っておらず、無駄な習慣と避けていたが、大人になると感じ方が変わります。不思議です。年取ったからか。若さが持つ希望が薄れ、愛される機会も減り、何かにすがりたくなるからか。

百万塔。災い・争いをしずめ、安泰(鎮護国家)を思うもの。奈良時代に百万個造られたから百万塔。764年の恵美押勝の乱を経て、称徳天皇が発願、770年に完成されたとされる。と思ったら、正月から地震。心配です。

社会が現状に甘んじず変化しながらも健全で平等で誠実で自由。安泰。こうありたいものです。

「洗心」。お寺の手水舎に「心洗水浄」なんて彫ってあります。心を洗う。この書は京都の妙心寺の管長の書。

ボクは勝手にこう意味づけ。新たな気持ちで今年を歩む。過去に縛られない。昨年の失敗にくじけず、罪の意識にとらわれず、成功に奢らず、自身を過大評価せず。様々な経験を初見かのように興味を持ち・楽しみ・笑顔で。

仏教徒でもないのに、ご先祖様を前にりんを鳴らし「ちーん」の音を聞くと心身が洗われる。本当に洗われたのか正直わからないけど、その時はそう感じる。この不思議。普段は全く気にしない仏教。正月などの適切な時に、不思議に学びとチカラをもらう。

そうだ、今年の抱負は「不思議なひとになる! 不思議なチカラをくれるひとになる!」で行こうとふと頭に思いつく。不可思議・不思議。思うもおよばず、相談・議論するもわからず。こんななんだか不思議なチカラをくれるひと。

不思議なチカラをくれる。お陰でなぜか安心する、チカラをもらえる、鼓舞される、前向きにさせる、新たな気持ちにさせてくれる、背中を押してくれる、変化に挑戦したくなる、そんなチカラを持つ「不思議」。「やさしい」ひと、やさしさを貫くひと、とも言えるかもですね。

高望みか。。。ま、1月1日ぐらいはいいか。仕事が始まったら、すぐにくじけるかもだけど。。。

読んで頂きありがとうございます。
(職場を/人生を良質にするコンセプトv6_83)


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