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リーダーの力:どんな時も鼓舞し希望を運ぶ

職場で、異なる部署の2人が喧嘩です。喧嘩というより建設的な議論? 熱いのは良いこと。利己的でなく、全体にとって良いと思っての、それぞれの立場の違いでの議論なのかな。。。

で、ここで仲裁し、解決の方向を意志決定するのは、それぞれの部署よりも上の「役職」のひと。上の「役職」に解決が期待され、なんらかの結果で争いは収まる。役職がないと大変。どこかの民族間紛争のごとき終り無し。

こんな「役職」や「組織の階層」、「権限」、「社内規定」、「社内ルール」、「代表権」だったりは、会社に必要。必須の「システム」。こんな「システム」が、見ず知らずの他人が集まる会社なる中で、他人同士の複雑な主張・利権の「争い」ごとを抑える。

この「システム」が無いと、もめ事、いざこざ、喧嘩、争いごとが簡単に起きるし、仲裁されず、内部分裂・崩壊につながる。会社の存続は不可能。

もちろんこんな「システム」は家庭には不要ですね。だって:
 1.全員が血でつながり、見ず知らずの他人では無い家族/親戚で、
 2.利害の一致(子供を中心とした家族の幸せ)が明確で、そして、
 3.集団内の構成人数が少ない。

ところで、現代日本の世帯あたりの人数は1から3名ぐらい。全国平均で2名ちょっと。東京なんて2名を割って1.95人(2021年総務省)。

だから、目的・価値観がそれぞれの他人が集まる会社において、こんな「システム」が「調和」と「安定」、「存続」と「拡張」を生み出している。

ボクは「やさしいリーダー」の創出が現代VUCA社会での、組織の熱意・自主性・クリエイティビティ、そして自走、それらが生み出す会社の成長に必須と思っているのですが、「やさしい」からと言って、この「システム」に悪質に違反するケースを許す必要はもちろん無いですね。違反を許す、見て見ぬ振り、日和見主義、八方美人、差別、無責任、統率力の無さ、などはリーダーの特性としてはありえません。心が強いからやさしくなれます。

ただ、この「システム」に依存し過ぎると、職場が機械的になり、熱意・自主性・クリエイティビティが失われる、と思うのです。特に、社員数が、リーダーが全員の名前と想いとキャラをわかりえる人数(50名ほど?)までは「システム」は当然に存在させますが、それに依存し過ぎて自らの関与が無いのは逆効果、と思うのです。

社内の「システム」に任せすぎることが、つまり「役所的」であり、「大企業病」と言われる現象。会社は「役所」ではないのです。

リーダーが生身の人間として仲裁・仲介し、両者を説得し、納得してもらう。そして負けた/譲らされた側が、なぜか引き続き前向きになれる!腐らずに熱意を維持できる!それこそがリーダーの仕事! どんな時も鼓舞! 希望を運ぶ!


ダメダメなケースは、リーダーが「システム」の詳細をそもそも覚えていないし、その「システム」がそう出来上がった背景・狙いも専門家任せで理解していないし、さらには、人間関係・部署間での問題が起きた際にも仲介しない。「ルール通りにやってください」なんて。存在意義無いような。

他人が”なんとなく”集まった組織において、争いごとが起きない「システム」、あるいは争いが起きても”自動的”に仲裁・解決される「システム」は必要です。狩猟採集民から部族や国家などの集団を形成してきた過程は争いの繰り返し。そんな人類が編み出した知恵です。ま、組織に属する人々を奴隷的に維持する、とも言えますが。。。

必要だけど、それだけだと、人間らしさが無くなります。社員は奴隷でも、ルールだけに縛られる機械でも無い。人間らしい関係性こそが、家庭のような関係性に一歩でも近づけ、いざという時に皆が支え合ってチカラを発揮する、そう思うのです。

読んで頂きありがとうございます。
(職場を/人生を良質にするコンセプトv6_62)


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