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自分の自由が制限されるを望む逆説。環境についてはどんどん制限して。(ベターアイデア? v3-25)

ベンチャー?スタートアップ?違いは良くわからないけれども、”化ける”可能性があるが今のところは資本金だけすごい中小零細企業?、そんな会社に、知り合いから誘われて、働いたことがある。

で、エンジェル投資家さんが構えるオフィスに、その方の投資先の3つの会社が共存して間借り。ひとつの大きな部屋の3つ端にそれぞれの会社が固まり、最後の端はエンジェル投資家さんの机、みたいな配置。でも、投資家さんはほぼ来なくて、3社の社員がわちゃわちゃ。で、しばらくすると投資家さんが引っ越すので、あわせて3社ともオフィス移転。それぞれがそれぞれの新居へ。

で、ベランダに木があったのです。ウンベラータ。が、ボクが参加した時には葉は数枚あったが、ま、ほぼ枯れた状態。11ヶ月ほどそのオフィスにボクはいたのですが、誰も水をあげず、もはやあげても無駄だが、いつしか葉は無くなり、引っ越しの際に捨てた。

当初は、当然、葉はあったし、寒くなると葉を落とし、新芽が暖かくなったら出ていたのでしょう。誰かが水やりもして、屋内にあったのでしょう。それが3社の社員が入って来て、邪魔だからベランダに出す。

そして、船頭多くして船山に上る、ですね。育てる責任者が曖昧化。間借りしている他人の家の植物で、誰も自分ごとではない。これで枯れたのでしょう。

ちなみに部屋もどんどん汚く、埃だらけに。みんなが嫌になり、あとは、この部屋から出るしかないですね。ひとりひとりが、俺は悪くないぜ+俺がきれいにする役割・責任じゃないぜ。

で、当然ですね、ウンベラータも部屋も、衰退・崩壊、滅びました。自滅。

ボクの家にもウンベラータがあります。で、ひとのこと言えないのです。10年以上経過。毎年2回ほど、葉を落とし、そして綺麗な緑の新芽を出します。ところが、最近引っ越しし、現在、2ヶ月経過、したのですが、8カ所の枝から3~5枚の葉が出ていまして、その内の2カ所の枝が乾燥し切り、葉も落ち、つまり、枯れた様子になったのです。

8カ所のうち2カ所か。しょうがないかな。あと6カ所の枝からは葉が出ているし、みすぼらしい感じは無いかな、なんて自分に言い聞かせ、傍観状態。おそらく、2つの枝が枯れた理由がこの引っ越しした新居の環境、あるいは置いてある場所、にあると推察されるから、このまま、じょじょに、気づかないうちに、「衰退」していくことが推察される。何かを変えないと枯れますね。たぶん。

家の中のウンベラータ、ま、別に枯れても、人生には影響無いし。と、責任感の無さ。衰退・崩壊、滅びていきますね。

話変わって、イースター島のモアイ像。あんな、木々が無く、不毛な荒れ地で、どうやってあんな巨大な像を彫り、移動させ、立てたんだの不思議。昔から不思議で、宇宙人のようなロマンを感じていたけど、ボクのとんだ勘違いのお馬鹿思想でした。ぜんぜん不思議じゃないのです。

というのも、昔は、木々がたくさんだったのです。巨大なヤシを初め、石像を運搬(木製のソリに乗せて木製のハシゴの上を転がす)したり、木製カヌーでネズミイルカやマグロを捕ったり。大きな木の道具がつくれる原生林が豊富にあった、うっそうとした亜熱帯性雨林の島、だったのですって。

だから、つまり自然が豊富だから、住民にとって食料となる鳥類や動物、海ガメやアシカ、魚類、甲殻類も豊富、だったとのこと(骨が多数出土)。木々、森があるから木の実とかもあったでしょう。だから、住民が増え、統率できる首長がいて、そして配給できる食料が豊富にあれば、モアイ像を削るのも、運ぶのも、簡単ではないけど、できますね。人口があれば。

なるほどぉ!!!亜熱帯性雨林の森林豊富な島だったんだ。それなら理解できる。宇宙人じゃないのね。

で、怖いのは、その島の住民がモアイ像を作ったり、その他普段の生活で、森林が再生するより早いスピードで破壊。動物も食べ尽くす。木が無くなるからカヌーもつくれず、海で狩りができなくなる。木々の無い島になり、資源が少なくなると氏族同士の争いも激しくなる。崩壊。ついでに、西洋諸国からの搾取(奴隷)と伝染病の追い打ちで、完全崩壊、とのこと。

自滅です。

人間って。困ったものですね。誰も崩壊させるつもりはないけど、結果的にはそうなる。自滅。知識が無いから?知恵がないから?想像力がないから? とにかく”止められない”、のですね、今の生活水準を維持・高めることを。ちょっとだけの誘惑(この木まで切っちゃうか)を制御できないのですね。ちょっとの積み重ね(1本だけ切っちゃうか)の先(森林破壊)を想像できないから。

この本(「文明崩壊」(ジャレド・ダイアモンド著、楡井浩一訳、草思社))を読んでもまだ、自分の家のウンベラータを大切にするマインドが育たず。人間ってそんなものでしょうか。自分の家の木々も大切にできないで、家の外の地球の自然を大切にできるのですかね。あるいは、自分のものだから大切にしないけど、みんなのものなら大切にするのでしょうか。(家の木々は別に自然を代表も象徴もしていないけど)

困ったものです。ウンベラータすら助けられない。

こんな他力本願の心の改善が本当は必要なのでしょう。でも、現実的にはひとりひとりが、自分の今の行動の環境への影響度合いを、正しく想像する、のはだいぶ困難な気がします。

だから、グリーンテックと自分の行動を強制する、地球規模の/国の/地域社会での真に機能する環境保全ルールが必要なのでしょう。自滅しないように。

今日のベターアイデア:
わかっているけど、行動できない自分。だから他力本願かもしれないけど、自分の行動を制御・制限・限定する、地球規模の/国の/地域社会での真に機能するルールが必要に思う。自由は万能ではない。自由を制御してもらうことが、自分の想いと整合する、という逆説が時にある。環境問題に当てはまる。環境問題に対しての、”正しい”(正しいってなんだ?)制限・ルール・規則・規律・規制・制御は、自分が望む・想う感謝ごとです。
 

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