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人事評価の「行動」評価って必要かな?廃止してもイイ?(ベターアイデア? v3-84)

3月。人事評価のタイミングが近づいてくる。ちなみに、人事評価に価値を認めたことがない。ボクが評価される側の時も、する側の時も。だいたいの会社で、全世界的に、意味がないと思われているけど、しょうがないからやっている、らしい、という話を聞いた(信憑性はわからない)。が、経験的には納得する。特にプロセス評価・行動評価は怪しいだけ、らしい。

なお、より平等に”正しく”評価する方法もあるらしい。当然ながら1人の評価者による相手によって変わる差と、複数の評価者間での差、をいかに無くせるかが大事。

でも、ちょっと視点を変えてみると難易度の高さがわかる。AIで考えてみる。AIですら、社員の行動情報を充分に得ることの難易度が高いから、AIに劣るひとが平等・正しい評価なるものは不可能だと思う。

例えば、会社中にカメラが設置され社員の全ての行動が撮影・記録される。通話の内容、メールのやりとりが全て記録される。自宅での作業や外出時の行動は把握するのは難しいが、ウェアラブル端末などでバイタルデータ・しゃべった内容・声質などが取れる。ならば、その結果、この人の「協調性」が高い、あるいは「挑戦心」がある、みたいな評価は一定レベルでできそうな気もするが、かなり難易度高そうだ。AIで難易度高いなら、つまり、ひとがやってもテキトーになるだけ、ということだろう。

ちなみに、この、より平等な”正しい”評価は、こんならしい。
・先に記載したような「協調性」・「挑戦心」なんて曖昧な言葉はとにかくだめ。なるべくかなり詳細に定義が必要。
・1~5点満点の評価軸ならそれぞれの点にもきちんとした定義が必要。
・且つ、対象者を相対評価(Aさんの方がBさんより良い)し、評価軸の中にみんなを並べプロットしていく。もちろん必ず差を付ける必要は無い。
・そして、Cさんがこのチームでは標準ですよ、というなるべく真ん中にいる共通の人を設定して、評価者はそれをベースに他の人を相対評価する。
・2割は高評価、6割は普通、2割は低評価にするように、なんて最初から分布させるのは最悪。
・それにもちろん評価者が性別や外見などに左右されるのも最悪。あくまで定義のみにもとづいて評価する。賄賂のコーヒー・お菓子プレゼント等で心が左右されないよう、そんな評価する心構えの教育も必要らしい。

わぁ、めんどうくさ。この煩雑さに実行性はない、ってすぐわかる。こんなことを全員にするの? 真ん中に位置するひとは一体誰が決めるのか? チームによって評価する行動の詳細定義は異なるのでは? それに同じチームでもドライブさせる行動は年々変わり得るのでは? 毎年変えるの? そして、チーム間でその評価をどうがっちゃんこするの? うーん、実行できなさそう。

会社なるものは、このような行動評価をしないといけない、と思いこんでいるものなのか(固定観念)? だから外部の人事コンサルにお願いしたり、転職してきたひとの事例を合わせ、”うまく”設計して、納得したふりして運用している、らしい。けど、当然、誰も信じていない。どうせ時間の無駄とみなが共通して思っているので、いかに時間の無駄を少なくするかを志向し、ますます意味が無くなる。意味無しデススパイラル現象。

そしたら、えいやで完全廃止し、他のことに時間を使った方が良いのでは。ひとがひとの行動を評価するなんて、そもそもどうなのかな。。。って、自分(がサラリーマン)の会社にそれを主張する(反抗する)勇気はないけど。。。

ふと思い出した。外資系の企業に転職したその昔、360度評価を初めて経験した。もはや今は化石かもしれないが、当時は進んでいるな、と思ったもの。上司のみならず同僚からも他部署からも評価する仕組みで、組織の縦割りを無くし、チームワーク向上、部下の育成向上などを狙ったものだろう。ちなみに現代では、効果はあげていない、というのが一般的な評価らしい。

なお、この会社の場合、米国人のNYにいる評価者が、日本にいるボクのお客様と通訳をはさんで会話し、ボクを評価する、なんてこともやっていた。360度の一貫。お客様には時間をかけて弊社オフィスまで来て頂いた。でも、そのお客様を選ぶのはボク。その前にランチ奢る裏工作も可能。裏工作はしなかったけど、しかし色んなひとの時間がとられるがそこまでやるべきなのか。そしてこの労力のお陰でボクの給料あるいは役職の何に、どの程度影響したのか、全く不明。。。

数値目標の評価だけで良いのか議論もある。が、プロセス評価・行動評価はほとんど機能していない。不要じゃないかな。。。

今日のベターアイデア:
人事評価(数値目標評価、行動評価)のタイミングが近づき思う。数値的な目標設定・評価はまだしも、プロセス評価・行動評価って必要なのだろうか。多くの会社で、自分の経験した会社では全てで、誰も価値あると思っていない。でも、制度だからと、テキトーにやっている(らしい)。時間の無駄だから、なるべくテキトーにさっさとやろう、とますます無意味になっていく。制度だから。決まりだから。みんなやっているから。。。うーん、思い切って完全廃止してみたらどうだろうか。こんなことは日々の上司と部下の関係性の中で”互い”に改善・伸ばしてしていくこと。まさに、今、ここで対話しないと意味が無い、こと。そう思う。

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