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悩む選択 v2-30:虚構と真実をバランス良く!vs え?虚構や嘘はダメでしょ。常に真実!

ボクともぐらさん。大好きな絵本「ぼくモグラキツネ馬」から互いをあだ名付け。やさしさの強さを謳う学び多きステキな本。そういえば、組織ってやさしさが無いね。組織という無形の想像物は、不誠実なモノだとボクらが想像するから必然でそう成ってしまう。組織なんてどうせXX!、みたいな。で、たどり着いたのが「やさしいリーダー」の必要性。やさしいリーダーがやさしさで組織をやさしく強い自走組織に発展できる。最近は職場で直面する悩ましい「どっちを選択する問題」をアレコレ整理し、やさしさはどうあるべきかの学びに役立て中。

今日の悩み:

A.組織でも家庭でも、虚構と真実をバランス良く提供しないと、人間関係は上手く行かないよ。積極的にウソをつく、ということではないけど、真実だけでは人間関係は良くならない。

B.人間関係に虚構・作り事があると上手く行かない。だませ通すなんて無理。真実を語り、真実に生きるべき。

ところで、そもそも会社ってなんだと思います? 紙で定款つくって、法務局に届けて、はい、XXX株式会社、できあがり。社長が変わっても、事業内容が変わっても、社員が変わっても、本社が日本からアメリカに行っても、M&Aされても、同じ。売上とコストで利益がでて、税金はらって、それらがPL/BSって紙切れの上に表現されて。「お金」すら見ないケースも多々あります。そして、上場というなんだかよくわからないコトが実現すると、自分の銀行口座なるものから、会社という無形の産物が持つ銀行口座なるものに最初に紙の上だけで移した、見たこともない「お金」が、株券なる、これまた見たことない紙に代わっていたことで、数十倍、数百倍になります。

会社やお金というコトを信じる我々が集まって、無形の目では見えない「「XXX株式会社」に私は属しています」ってなります。会社って虚構、想像の産物。誰かの決めたルールをみんなが信じているから成立します。

結婚も紙切れの上での話。それによって法律で定められた得るものや得られないものが決まり、自由な行動が制限される。虚構ですね。互いに結婚した、と思うことで、さぁ安心、みたいな。みんながそれに従おうと思っているから成り立つ。でも、パートナーをちゃんと気遣い、支えて、一緒に成長しないと嫌われちゃうよ。結婚という想像・虚構に胡坐をかいていたらダメですね。紙切れが示す虚構だからすぐ消えちゃう。一方で、「心から気づいたあのひとが好きなんです。だけど結婚しているから。。。」のケースだと、とても残念、なぜか制限されます。すぐそこにいても、触れられない存在に。虚構がブロックします。。。

人間社会は、そもそも虚構(を信じること)の上で成り立っていますね。

そして、今やだんだん紙に書くことが薄れていって。。。5年、10年も経つとたぶん地球上から無くなるように思います。画面の中にデータが存在する、だけに変わる。定款も、資本金も、オフィスも、製品も、そしてなんと社員も、実際には見ません・触れません。会社は、もはや、実際に、物理的に、面と向かって会うこともない人々が属する無形になりそうです。ますます虚構感が強くなる。

ただ、人類が想像ということを始めた数万年の歴史の結果で、もはや止められないので、これは続きますね。もはやすでにSFの世界。でも、良い悪いではないです。人類はそういうものです。

で、話を最初の悩みに戻すと、つまり、虚構の上にそもそも成り立っている中で、真実だけで人間関係を良好に保つのはうまく行かないのじゃないかな、って思うのです。つまらない、というのか真実だけを求めているわけではない、と思います。

ただ、一方で虚構ばかりや行き過ぎると、だれも関係を持ちたくなくなりますし、ウソ付きと思われると終わりです。だからバランスなのですね。

本当とウソのバランス。現実・真実と虚構のバランス。

先日、人材育成のセミナーに参加しました。講師の経験豊富な略歴とすごい営業成績のアピールが宣伝。ただ、それとその人から”感じる”雰囲気にギャップあり。オーラが感じられません。おそらく自分が中心人物ではなかったけど知っている経験を話し、自分が思考したことでなく教えられたことを話している(のだと思った)。営業成績もどこまで本当かわかりません。とにかくオーラは無いし、宣伝文句とのギャップを感じ、怪しく思え信頼感がなくなりました。バランスが崩れると信頼失墜です。

先日、自分の会社のビジョンを定義しようと試行錯誤。そういえば、ブランドコンサルタント時代にもお客様のビジョン定義をサポートしていました。で、自分の目指している将来ビジョンを語り、共感してくれる仲間を集めるときに、また、今の社員を鼓舞するとき、何を伝えるのか、自分の信じていることは何か、自分が経験したどんな物語がきっかけなのか、何を実現したいのか。これが真実過ぎると魅力が無い可能性があります。ストーリーとして魅力を増す、必要があります。自分を鼓舞し、仲間に共感してもらい、突き進むために。これは虚構になりえますが、悪いことではないと思います。

人間関係には、真実のみならず虚構が必要。虚構があっても、虚構と感じられず、リーダー(パートナー)のことを信じられ、仲間(家族)のことを信じられる。これが会社(家庭)での人間関係を強くする。真実と虚構のバランス。そう思うのです。。。だから、冒頭に戻ると、ボクはA.派です。

ただ「真実と虚構のバランス」を保って、会社を強くするときに最大の注意点があると思っています。

組織はその特性から不誠実になります。ウソ、偽り、ねつ造、虚偽、騙し合い、誇張、隠し事、知らぬふり、見ないふりが、跋扈します。だから、普通にしているとこれらばかりになるので、リーダーが律し、誠実であろう、真実であろう、正しくあろう、と意図的にする必要があります。リーダーの絶対の絶対の絶対の条件です。リーダーが腐ると会社は終わりです。売上をあげる、利益を得る、給料を増やしたい、ということに悪影響され、ウソ・見て見ぬふりなどへの見えない圧力があります。

ですので、やさしいリーダーとなり、この圧力を緩める必要があります。

やさしいリーダーいわく:「失敗、過ち、ミス、知らない、出来ない、などは許します。人間です。そういうこともあります。支え合いましょう。だから正直でいてください。私も正直でいます。原因究明と解決にフォーカスし、学び、強くなりましょう。みなさまの力を将来を信じています。いかなるときも。だから引き続き挑戦しましょう、成長しましょう」みたいな。

つまり、リーダーたるもの、誠実・正直であり、仲間を信じ、過ちを許し、仲間を支え、挑戦・成長を促し、ビジョンの実現に近づきます。

これができるならば、その限りにおいて、リーダーは仲間に真実を求めながらも、虚構が許されるのです。リーダーは誠実・正直であろうとしますが、常に真実ではないですね。社員が前向きになり、わくわくし、ポジティブマインドになり、挑戦するための虚構は、ついしてしまいますね。大切に思っているから出るものです。

虚構な会社という無形を信じて、そのビジョンという虚構を信じて、集い、支え合う仲間が、生身の人々が、犠牲になる、これは本末転倒。リーダーのやさしさが必要だ。

当然ですが、責任から逃れるための嘘、やる気を失わせる虚構、うさんくさくてまったく信じられない言葉、利他主義ではない身勝手な作り話などは論外。いずれ自業自得で社員がいなくなります。

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