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ひとは皆、社会にとても貢献しています! 知らず知らずに _ その2:

人は皆、それぞれ、知らず知らずに社会に大いに役立っている、という話を昨日、書いてみました。この考え方、ステキかなと思うのです。自分もそうですし、家族も、大切なひとも、友達も、そして職場で接する仲間も、いろいろ感情はあるけど、みんなそれぞれ互いに、社会に役立っている、そう考えて、自分の道を信じて進み、他者にも感謝し接する。

そんなわけないよ、あいつなんか全然役立っていないよ、という意見もありましょうが、「あいつ」の全てを知っているわけではないですものね。会社で出来の悪い、自主性も熱意も無いあいつが、プライベートでは「偉人」だった、その道ではすごい、なんてことも、ありえると言えば、ありえる。

昨日は「希望をはこぶ人」(アンディ・アンドルーズ著、弓場 隆訳、ダイヤモンド社)と言う本に言及して、この考え方を紹介しました。この本のこの「くだり」は、ボクの人生で色々読んだ本の中でも好きな「くだり」です。とても記憶に残っています。こんな、悩む人々に「希望をはこぶ人」である老人ジョーンズさんのように年を取りたいものです。

で、この本を思い出したのは、今、読んでいる本(「銃・病原菌・鉄」(ジャレド・ダイアモンド著、倉骨 彰訳、草思社))に類似のくだりがあったからなんです。しかも、直接的に歴史的に偉大な発明・業績を成したひとに言及して、その人達「だけ」の貢献ではない、と言うのです。

「誇張された天才発明家」という章のタイトルで。

発明家で言うと、ワットも、エジソンも、ライト兄弟も、モースも、製品で言うと、自動車も、トラックも、カメラも、TVも、電球も、タイプライターも、蒸気機関も、蓄音機も、半導体も、一人の偉人によるものではない。

「彼らは、先駆者の残したものを大幅に改良して、商業的成功を可能にしている」けど、当然に「有能な先駆者」がいる。「非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、累積的に進歩し完成するものである」。「あの時、あの場所で、あの人が生まれていなかったら、人類史が大きく変わっていたというような天才発明家は、これまで存在したことがない」とのことです。

そもそも「必要は発明の母」ではなくて、「発明は必要の母」だと指摘するのです。偉大な発明は、当初、いったい何に使えば、どういう目的で使えばいいかがよく分らなかった、とのことです。

確かに、そう言われて見れば当然にそうですよね。突然に一人の発案で、努力のみで何かが生まれる、なんてことはありえ無いですね。発明したものが、その時は使い物にならなかったけど、後から使用方法が変わって価値が高まる、もありそうです。

大谷翔平選手の二刀流だって、最初からすごかったわけじゃないですもの。その道を進んでいくから優れてくる。それに、彼一人の貢献ではないですよね。子供の頃から育てたコーチや仲間、プロに入っても理解のある監督、コーチなどがいたからでしょうし、そもそもプロ野球という仕組みがあるからこそ、活躍できますね。野球を考えたひと、日本に導入したひと/指導してくれたひと、野球場を作れる、グローブやボール、バッド、ユニフォームを作れる、そんな人達がいるからこそ、際立つのですものね。

やっぱり、ひとは、みな、社会にいろいろな面で役立っていますね。知らず知らずに。もしかしたら、とってもとっても役立っているかもしれませんね。証明はできなくても、勝手にそう思う。ありかなと。

みんなでみんなにありがとう!ですね。

職場を良質にするコンセプトv6_57 
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

https://note.com/bokutomogurato/n/nc10c03672acf


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