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ボクともぐらと 52_“天国から来たチャンピオン”と母が教えてくれた愛とやさしいリーダーシップ

ボクともぐらさんは偶然にも同じ夢「やさしい人になり、あり続けること」を持ち、同じ絵本「ぼくモグラキツネ馬」が大好きな、会社の同僚。会社にはやさしく強いリーダーシップが必要と共鳴し、自らがやさしいリーダーになろう、日々、一歩一歩学ぼうとお約束。その徒然草。

今日も会社お休み。昨日に続き用事無く、ぼぉーっとしてる。瞑想と呼ぼう。エーリッヒフロムから、瞑想は自由を知る自立したひとが行う高度な活動である、と教えてもらい(昨日のnoteに書いたです)、それを言い訳に、ぼぉーーー。

で、ぼぉー、ついでに映画を見よっと思い、あれこれ検索して「天国から来たチャンピオン」に行き着いた。1978年のアメリカ映画。とても古いですね。アカデミー賞に作品とか監督とか主演とか音楽、美術などでたくさんノミネート。

高校生の時に今は亡き母親と一緒にテレビで見たのが最初。見終わった後の母親の言葉を思い出した。心に刻まれていて、映画の好き嫌いはひとそれぞれですが、ボクにはたまたま思い出の大好きな映画です。

あらすじ。アメリカンフットボールの一流選手が交通事故で亡くなっちゃう。天国で、天使さん?が色々案内するんだけど、言うこと聞かないで元気。変だなぁーと思ったら天国のミスでまだ死なない予定のこの選手を死なせてしまった。で、現世に戻そうとするけど、もうアメフト選手の身体は無くて、殺されたばかりでまだ身体が無事のひとに魂を戻した。嫌な性格のお金持ち実業家に。

で、このお金持ちの心がアメフト選手になった。だからまたアメフトやりたくて、コーチを呼び寄せてどうにか自分が自分だと伝え、一緒に練習(この友情がいいの)したり、金のためなら公害なんて気にしない、だったのに、優しい心に変わって、公害起こすビジネスはやめよー、になったり、で、公害で敵対していた女性と恋したり(この恋もかわいい)。

ただ、このお金持ちはもともとその妻とその愛人に殺された。生き返ったことにビックリだけど、また殺そうと試み、結局、殺されちゃう。ちなみに、ぜんぜん怖くなくてコメディタッチ。

で、天使さんが、殺される前に再びこの主人公のアメフト選手の魂を、試合中に不慮の事故で亡くなる他のアメフト選手に移す。のだけど、もうこれが最後で、主人公の最初の魂・記憶は無くなり、新しいアメフト選手として生きて行くことになる、というエンディング。

高校生のボクは、主人公の記憶が無くなるから、つまりコーチとの友情もなくなるから、恋もなくなるから、とても悲しかった。最後のシーンで、新しいアメフト選手が、この好きだった女性にスタジアムで会うのだけど、もう覚えていない。あれ、どっかで会いましたか、って。何かを感じはするのだけど。。。

コメディタッチで優しいトーンで最後の最後まではハッピーだったのに最後が悲しくて悲しくて。悲しいーって繰り返すボクに母親が言ったのは:

「悲しく思うの?私はハッピーと思ったよ。あの2人はまた仲良くなって幸せになるよ。そういう風に思えない? そう思ってごらんなさいよ。」

それから(男子校だからか、自分の力量がないからか、3年間彼女っけ全く無いボクには)「まだわからないでしょうけど、うまく行くときは最初の出会いでピンと来るのよ。それに、あなた男なんだし、恋も幸せも自分から与えていきなさい。偶然任せにしたり、恋はもらうものと思うから、このエンディングに悲しくなるのよ」。

とのこと。うーん、今はわかる。色んな見方があること、愛や恋を含む幸せは自分から与えるもの、ということを。当時はそうなのか?どうやって与えるんだ?、ってな意味不明な感じだったけど。

恋、愛から無理矢理、発展させるけど、組織で仲間にやさしさを、ボクから、もぐらさんから、自発的に積極的に与えていきたい。利己的ではない相手の立場に立ったやさしさを。

最後はいつも「ぼくモグラキツネ馬」から: 

「“コップの水がはんぶんしか入っていないとおもう?それともはんぶんも入っているとおもう?” モグラにきかれて、ぼくはこたえた。“コップがあるってことが、うれしい”」

”なぜぼくたちがここにいるのか、わかったきがする” ぼくはささやいた。”ケーキのためかい?" モグラがたずねる。”愛するためだよ” ぼくがこたえると、馬がつづける。”そして、愛されるためだ”

“ふりおとされても、わたしがたすけるからだいじょうぶ”

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