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円滑な人間関係の為のとりあえずの「感謝」ではない、本当に大切な「感謝」

感謝の気持ちを伝えるのは、円滑な人間関係でとても大切なこと、です。だから、本当に感謝していなくても、たいしたことでなくても、社交辞令でありがとう、と言ってしまいます。おはよう、さようなら、と同じ。挨拶的。深い意味は無い。とにかく感謝しておこう的。

なぜなら:
1.自分は感謝して欲しく、相手も感謝してくれた  ⇒ OK
2.自分は感謝は不要だが、相手は感謝してくれた  ⇒ OK
3.自分は感謝は不要で、相手も感謝はしなかった  ⇒ OK
4.自分は感謝して欲しいが、相手は感謝しなかった ⇒ NG

で、4.だけが問題、なので、感謝をとりあえずしておこう、になりますね。だから、冒頭のように社交辞令的であっても、とにかく感謝・感謝になります。

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で、上記は、現在進行形の「今」の人間関係では、その通りですが、過去についての感謝で、悩んでしまう。「今」はつながりがない相手が過去にしてくれたことに、ボクは今になって感謝したくなる。なぜなら、今になってそのありがたさを知ったから、今になってその大きな価値に気づいたから。例え、小さなことであっても、ボクにはとても大きなことになった。。。

でも、相手にとってボクからの感謝なんて不要かもしれない。だって、過去のそんな小さなことに気づいていないかもしれないし、忘れているかもしれないし、もしかしたら忘れたいことかもしれないし、今更突然、感謝されても困る。。。お返ししないと、と思わせてしまう。。。

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昔、ボク的にはとてもお世話になったお客様が、早期退職し、東京から鹿児島に引越すことになった。5年ほど会っていなかったが、退職だし、遠方への思い切った引越しだし、気軽には会えない。だからこれは感謝する「変化の機会」と思ったのだ。でも、以下の4.だったのだ。

1.自分は心から感謝を伝えたいし、相手も期待している
2.自分は心から感謝を伝えたくはないけど、相手は期待してる
3.自分は心から感謝を伝えたくはないし、相手も期待してない
4.自分は心から感謝を伝えたいけど、相手は期待してない

だから、ボクからの感謝の気持ちに対して、同等のお返しが来たのだ。ま、こういうことこそが円滑な人間関係かもしれないが、なんか、ボク的には違ったのだ。「今」の円滑な人間関係のためではなくて、過去に本当に本当にお世話になったから、この機会を有効活用し、ボクの感謝を伝えたかったのだ。お返し無しで終わらせたかったのだ。。。

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でも、思ったのです。一体このボクの感謝って、何なんだ? 単なる独り善がりなのか? 偽善? 自己満足?

だって、現在の良好な人間関係のための「感謝」ではない。「今」は、つながりが無いんだもの。東京と遠方だし、仕事の関係も、プライベートの関係も無い。今はまったく無い。将来のことは誰もわからないので、将来に何らかの関係はありえるかもしれないが、偶然がない限り、無い。つまり、不要なんだ。でも、一体、ボクが感謝したいと思ったのは何なんだ? 相手に良い気持ちになってもらおうと勝手に思った低俗なだけなのかしら???

悩ましい。。。というのも、実際にはこの鹿児島ケース以外にもあるのです。「今」はつながりがないけど、過去につながりがあった人に、「今」、感謝したい気持ちが湧き上がっている。。。

でも、現実には、鹿児島に引越した方のように、自分あるいは相手に何らかの「変化の機会」が起きないと、感謝はしづらい。例えば、余命3ヶ月とか、遠方/海外に引越すとか、退職とか。。。現実にはこんな「変化の機会」が必要になる。だけど、感謝したい気持ちはもうここにある。。。

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「今」の円滑な人間関係のための、社交辞令的な、無難路線のための、気軽に伝える感謝も大切だけど、「今」が関係ないにもかかわらず、素直に思ってしまう感謝を伝えたい、ということこそが大切かなと思うのだ。単なる自分勝手・偽善かもしれないけど、大切にしたいと思うのだ。。。「変化の機会」が無いと感謝を伝える勇気・実行力は無いのだけど。。。おかしな考えかなぁ。。。


読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_1)


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