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不幸せになる権利を持ちたい。それが幸せ(素敵なリーダーになりたい編_v4-72)

「21 Lessons」(ユヴァル・ノア・ハラリ著、柴田裕之訳、河出書房新社)という本を読んだ。副題が「21世紀の人類のための21の思考」。的外れな情報であふれかえる現代に「明確さ」を伝える、との趣旨の本。

なるほどなぁ、と感心する定義で現状を明確に伝えてくれる。自由、平等、宗教、神、戦争、テロ、ナショナリズム、移民、文明、正義、教育などについて。

アフリカで、猛獣に怯えていた、ただの哺乳類の1種である人類。そのホモサピエンスが、偶然にも、想像力や物語を作るチカラ、虚構で仲間を束ねるチカラなどの認知革命、ならびに小麦やお米、家畜(の奴隷となり)を育てることで定住をはたし、人口増に繋がった(病気も増えたけど)農業革命、などなどを経て、世界中に拡散し、動植物を駆逐・絶滅させ、環境を破壊し、科学のチカラで不死をも視野に入れ、もはや神をも凌駕する地位に至った、と人類の歴史を見返し整理。

そんな現代の人類(ホモサピエンス)を取り巻く状況を独自の視点で解説している。

AI、テクノロジーへの言及も随所にあり、怖くなる。

そして、4ページほどを費やし、年を取るごとに現実味を帯びてきている、として「すばらしい新世界」(オルダス・ハクスリー著、1932年の作品。ディストピア・SFの金字塔と言われているらしい)を紹介している。

今のような人間らしさが失われ、ただ、失われたことさえヒトは気づかずに幸せに生きる。あらゆることがコントロールされた世界。人間は生化学的アルゴリズムだから、科学がこのアルゴリズムをハッキングし、テクノロジーを使って操作する、そんな世界。みんなが満足、幸せ、異論反論批判抵抗なんてしない。不要だもの。

だから何も起きないのだが、偶然の偶然が重なって何らかの不愉快が起きたら、支給されるソーマなる薬を飲めば、無上の幸福・快感を即座に感じ、万事問題無し。

こんな世界が嫌なんて誰も思わない。気づない。だって幸せなんだもの。幸せしか感じないんだもの。

高校時代に読んで気持ち悪くなった記憶がある。ユヴァル・ノア・ハラリ著者は、上述の通り、そんな世界が近づいている、という。それに納得してしまい、またまた怖くなる。本棚で「すばらしい新世界」を探し、取り出すも、読む気はしない。

が、この「21 Lessons」で引用されていた「すばらしい新世界」の文章で、こんな素敵な表現があった。

知らず知らずに幸せにさせられている人々を統制する人物(ムスタファ・モンド世界統制官)と、偶然にもその統制の外にいた一人の男(野人のジョン)の対話。その中で、何もかもが統制され、薬に頼り、もはや幸せだけしか感じない人生に対し、拒絶を表明するジョンの言葉。

苦難は必要です」(シェークスピアを引用しながら)
危険な生き方をすることに、何か意義があるのではないでしょうか。」
「私は不都合なことが好きなのです。」
「私は不幸せになる権利を主張します。」
「歳を取り、醜く無能になる権利は言うまでもなく、~、明日何が起こるか絶えず不安に思いながら生きる権利、~、ありとあらゆる種類の言語に絶する苦痛の責めで苛まれる権利を」

そして、この作品(「すばらしい新世界」)が怖いのは、こういう幸せにさせられる世界が出来上がった場合に、それに反する野人ジョンのような人は出て来ないはず、と主張していること。

知らず知らずに統制され、何かあっても薬を飲めば、”はあー幸せだぁ!”と思えるなら、どうして、現状に反対するのか。

そんな思いもよらないし、苦難、危険、不都合、不幸せ、不安、苦痛をあえて求め、それと共に生きるなんて精神力の強いひとなどいるのか。いないはずだ。

今は、2023年は、まだ、このような世界ではない。苦難、危険、不都合、不幸せ、不安、苦痛が普通にあちこちに。特に多様性という「違い」を自明的に求められる会社の人間関係では毎日ごとだ。

性年代、価値観、立場、役職、目指すキャリア、今までのキャリア、スキル、知識、ビジョンへの共鳴度、住む場所、趣味などが異なる多様なひとが会社なる無形の場・時に集まって、会社の利益・発展を目指す。

多様性は、違いであり、違いは、ストレス。だから、会社にはストレスだらけ。苦難、危険、不都合、不幸せ、不安、苦痛だらけ。だから、多様性が相対的に少ない家庭は安心、リラックス。ま、そうではない家庭もあるけど。。。

で、「すばらしい新世界」のこれらの表現を読み、そっか、と思う。

未来がこんな世界で”幸せ”しか感じられないなら、まだしばらくそこに至るまでは時間がかかりそうだから、現代の「不都合なことが好きなのです」になり、「不幸せになる権利を主張します」をしたら良いんだ、と。

特に、会社は必然的にそういう場なのだから、それはそれで良いと受け入れよう。

そして、その苦難、危険、不都合、不幸せ、不安、苦痛が必然の会社にあって、リーダーならば、もっと、楽しさ、笑顔、充実、達成、成長、幸せ、感謝を、皆が感じられるように、会社という無形を作ってみよう、と思うべきかなと。そう思うと、なんだか、気楽で安心するし、且つ、わくわくする。

「素敵なリーダー」: 
近い将来の自分を失い「幸せ」しか感じられない世界を前に、今はそれ以外のネガティブ感情も経験できていることを幸せに感じよう、と受け入れる。

ならば、それが必然な人生、必然な会社での仕事・人間関係をそのまま受け入れられる。

そう思うとリーダーは、失うものは無い状態、とも言える。だから、より挑戦的に会社に向き合え、取り組める。なんのためか。社員に仲間に「楽しさ、笑顔、充実、達成、成長、幸せ、感謝」をよりたくさん感じさせるため。

こんな素敵なリーダーになりたいですね。


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