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神頼みしないからこそ神社参拝。牧師の言葉を思い出しに神社参拝。どういうこと?(ベターアイデア? v3-21)

近くの神社にお参りに。まだまだ感染対策。マスク着用、手水舎での口をすすぐのはだめ。ひしゃくも無し。並んでいる間に会話も控えてね。との注意書き。神社なので、二礼二拍手一礼して。お賽銭箱の上に鈴は無い。こちらも感染対策ですね。

さて、並んで参拝の順番を待っている時の後ろの家族の会話です。
「あれ、神社はお願いごとしていいんだっけ?」とパパ。
「神様にはお願いごとしていいのよ。タイガはちゃんと勉強がんばるから合格をお願いします、って言ったらどう。」
「はーい。勉強しないけど合格させて、じゃ。だめ?」
「いいわよぉ。ためしてみたらぁ!?」
「パパは何にしようかな。皆の健康とおまえの合格と、ユナは何にする?」
「んん? 内緒ー。」
「韓流俳優みたいな彼が出来ますように、だよな。」
「え、そういうのもありなの?」
「ないでしょ。」
「パパは、神様に悪いから、あまり難易度高いのはやめよ。みんなから色々お願いされているだろうし、何事も自分でやり遂げるべきだからな。だから、ま、億万長者にしてください、にしようっと」
「・・・・」「・・・・」「・・・・」
「おみくじ買っていいの?」
「みんなでやりましょう。あ、パパは嫌いだったね」
「おー、パパはおみくじは嫌い。なんか気になってしまって。ま、単なる占い?というかゲームなんだけど。なんか書かれている内容が気になって。」
「そんなねー。すぐ忘れるわよ。遊び遊び。」

ってな感じでした。

過去にボクの周りにいた社長で、正月明けの初日に社員一部で神社に行くことを習慣にしているひとがいた。3回ほど一緒に行った。「ベストを常に尽くしているから、あとは神頼みしかない。」なんて言っていた。

一方で、神に頼んでも何も起きない。儀式は嫌い。神社にお金が落ちるだけ。なんて社長もいた。「結局、自己責任なんだから神頼みしているという自分があまり好きじゃないんだ。」と言っていた。

仲間と会社を作ったとき、オフィスに、神棚を設置することにした。ボクは思いが至らなかったが、こういうことは大切だ、ビジネスしていたら神に頼りたくなる時が絶対にあるから、という意見もあって。で、確かに神に頼みたくなることは多々起きたけど、自分はベストを尽くしているのか、と自問自答するとどうも自信無く、神様にお願いするまで至らず。神棚に向かった記憶もない。

小さい頃に、確か正月休みに「ポセイドン・アドベンチャー」という映画を見た。1972年の古い作品。父親が見るのに便乗。ポセイドン号という豪華客船が大晦日から新年になった時に大波で転覆。主人公の牧師さん中心に出会った仲間と懸命に、ひっくり返った船の底をめがけて登り、助けを求める話。

で、この映画を見て以来、神社に行かなくなった。両親が福岡出身というのもあって正月に「三社参り」と言って三つの神社詣でをする習慣があった。が、ボクはまさにその映画を見た正月から不参加とした。大学生以降は拒否する必要も無く、家族や友達、社員と行くようになったが、子供の頃はこの映画の牧師さんの言葉が心に響き、変なこだわりを持ってしまった。

なぜなら、ジーン・ハックマンというアメリカの俳優さん演じる牧師さんが、こんな主旨を言うのです。牧師が言うというのがミソなんです。言葉自体は忘れていますが、主旨的には:

・神に祈っても何も解決しない。待っていても何も起きない。
・自ら努力しないとダメだ。
・自ら行動しないとダメだ。

ただ、最後には、神よ、どうしてこんな苦難を与えるのだ。必至で努力しているみんなを殺すんだ。見捨てるんだ。それでも神か。的なことを言って、皆のために自ら犠牲になる。

仲間を鼓舞し、勇気を与える。そして仲間を助けるために自らを犠牲にする。こんな人になりたい、と思う、神を信じず?行動を促す牧師さん。

牧師とかプロテスタントとかイエスとか何も詳しくない子供で、だけど神やサンタさんについて自分なりの考えを持った頃。で、この牧師さんの考え・言葉・行動に感銘を受け、この神社参りを、神社でお願いするのを、やめたのです。

今は、毎年お正月休みに神社に行きますが、感謝と誓いのみ。そして、おみくじも買いません。子供のときからの習慣を維持したいという変なこだわりかしら。

で、今回、友人が買ったおみくじの裏にこう記載されていました。

「あらゆる努力を重ねてなお、出口の見えぬ苦悩の霧中に迷える時、闇雲に道を求め彷徨えば、更に心を痛め、身まで損なう元となる。何事も力の限りを尽くした上は殊更に思い悩まず、唯一心に神様に御祈りする。苦悩を祈願にかえて心の霧を祓い除けば、屹度(きっと)、神様は慈しみの御光で進むべき道を照らして下さる。」

大人になった今でも、基本は、この「ポセイドンアドベンチャー」の牧師の言葉・行動に共感している。「結局、自分が決意し、行動しなければ結果はでない。そして、何事も自己責任」

一方で、このおみくじの裏の「神の教」もその通り、と思える。けど、まだ自信無し。「あらゆる努力を重ねて」いるのか、「何事も力の限り尽くした」のか、はどうも自信無し。まだまだ神様にお願いする迄に行っていないかなぁ、と思ってしまう。

年の初めに神社に行き、「ポセイドンアドベンチャー」の牧師の言葉・行動を思い出す。ボクにとっての参拝の大いなる価値。神の前で、自分が決意して、行動することの大切さを思い出す。自己責任で頑張って行きます、という誓い。「あらゆる努力を重ねて」いる?「何事も力の限り尽くした」?かの自問になる。神には、「そう自分がなれたら、その自信がついたら頼ります、お願いしますから、そのときに宜しくお願いしますね。」と伝えて。

今日のベターアイデア:
お正月休みに神社に参拝。二礼二拍手一礼の後に何を願うのか、何も願わないのか、おみくじは引くのか、やらない派なのか。それぞれ。そもそも神社に行かない主義もいいですね。ひとそれぞれ。結局、自分が決意し、行動しなければ結果はでない。そして、何事も自己責任。そんなことみんなわかっているよ。いちいち言われなくても。ただ、神社に行き神の前に立つことで、このことを再確認。「あらゆる努力を重ねて」・「何事も力の限り尽くした」と思ったらお願いしますね、と神に伝える。そういう場として年始の参拝に行く。ベターアイデアかな。

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