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悩む選択 v2-11:努力すべき。必ず報われる。いやいや努力はほぼ報われない?

ボクともぐらさん。やさしいひと・やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする夢を持つ。「やさしさ=心の強さ」を謳う「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)をきっかけに仲良くなり、色々悩み多き組織の中で、やさしいリーダーになろうね、と約束。やさしい組織づくりを整理・勉強中。この頃は、職場・人生で直面する悩ましい「どっちを選択する?問題」の徒然草。

今日の悩み:

A.努力をすれば必ず報われる。人生は努力。

B.努力したってダメなものはダメ。報われない。努力が足りない!なんて言わないで欲しい。だからほどほどが良い

ボクは、A.だと思うのです。結果が当初、自分が目指したものではないかもしれないし、周囲がどう評価するかはわかりません。でも、そもそも、人生って努力する、こと、なんだと思います。空気吸って、ご飯食べて、寝て、と同じ。必ず報いがあると思うのです。

努力って、でも、直感的にはわかるけど、結構、深いと思うのです。自分が努力と思っても、「そんなんじゃ努力って言わない!」、って言われるし、目指して達成した結果が世の中的に”すごい”レベルじゃないと「その程度を達成しても努力して来たなんて言えないよ!」って言われたり。。。こっちは努力したつもりなのに、「努力もしないで、結果が出せてイイなぁ」なんて言われたりも。。。

努力って何だろう。。。

世の中いろんな方が整理しているから、ここで整理する必要も無いのだろうけど、自分の頭の整理のために。

1.目標があって:できたら自分が心から願う、あるいは、心からでもないけど目指したい目標がある。人生には、もちろん、自分は本心じゃないのだけど、色んな理由でなんだか向かわないといけなくなっている、そんなこともある。とにかく、”目標”・”ゴール”・"願望"・”希望”・”夢”・”ビジョン”・”目的”・”ありたい姿”など、それに向けて:

2.しかも自分の今と比較した高い目標で:”目標”も、すぐそこに見える到達容易な目標ではなくて、今の自分と比較して高い目標でなければならない。経営本で言うところのBHAGに向けて(ビーハグ、big hairy audacious goal_大きく困難で大胆な目標「ビジョナリー・カンパニー ジム・コリンズ共著、日経BP」):

3.その目標には苦難な要素が必要で:その高い目標に至ることが、簡単やラクではダメで、苦労、苦難、困難、試練、壁、挫折、辛さ、過負荷など(自分が思う?/周囲が思う?/一般的に世間がそう評価する?)が、常でなくても良いが、目立つ程度に時折は存在する、行動・活動を実施して:

4.毎日コツコツ続けて:且つ、それらの行動・活動を、毎日、あるいは比較的”頻繁”に継続して取り組んで:

5.集中・前向きに取り組み:さらには、毎日していれば良いという訳ではなくて、また、ダラダラ、イヤイヤではダメで、集中して、前向きに、楽しむ気持ちもありながら:

6.(1年ぐらいは少なくとも?)一定の期間、継続する:高い目標に向けて、苦難の道を、毎日、前向きに苦労に取り組んでも、3日で終わったら、努力とは言い難い。一定の”長”期間、継続する

だから、まず一旦の整理としては、「努力」とは、『自分の今と比較して高い目標に向けて、毎日コツコツ、苦難を乗り越えて、前向きに、一定の長期間、取り組む行動』のことかなと。

よくある事例でいうと、「自分の現状の偏差値からはだ高い大学・学部を目指して、毎日予備校の授業を受け、自分でも勉強し、理解できないことも多数だが、必ず受かる・受かりたいとの気持ちで、1年以上がんばっている」

上記の一旦の整理に抜けている点が3つ、あるかなと思うのです。

ひとつ: その高い目標への到達具合は、結果は努力の定義に影響するのか。例えば、大学に合格しなかったら、”努力”は”努力”にならないのか/なるのか。「努力したかもだけど足りなかったね」と結果が伴わないと不完全な努力になっちゃうのか。

ふたつ: ”努力”したとは誰が思うのか。自己申告なのか、周囲の評価なのか。周囲(比較的多くのひと)に「それは別に努力じゃないよねーぇ」と言われたら、努力にはならないのか。

みっつ: 正しい方法で進めているのか。高い目標に向けて、苦労に直面しながら、日々こつこつ、前向き、一定の間継続している、その活動は、目標に達成するに、適した/効果的な/効率的な/正しい/あるべき活動なのか。無駄、非効率は無いのか。一体、誰が評価する「正しさ」なのか。

で、思うのです。結果も、周囲がどう言おうかも、効率か効果的か正しいかも、そんなのどうでもいいじゃない、と。結果が本当に本当に大き過ぎたかもだし、不測の自体が悪影響したかもだし、誰も教えてもらえず自分がこれだと信じた方法が非効率や無駄な面があったのかも。でも、これら3つはどうでもいい、と思うのです。

なぜなら、努力の結果がどうであっても、周囲がどう評価しようと、回り道な方法だったかもしれないけど、努力したのならば、「自分は努力したんだ、自分は逃げなかったんだ、次の挑戦が来ても自分は逃げないんだ、ただし、次は結果を出したい。」と心静かに強く本心で思える、はずだからです。これが「努力の報い」だと思うのです。自信、自尊心、次への挑戦心、勇気とも言えますね。「A. 努力すれば必ず報われる。」の「報われる」のは、こういう心が持てること、だと思い、これが努力の価値であり、結果だと思うのです。

もちろん、自分の努力の結果がダメダメで、意気消沈。立ち直れない。ってこともありますね。あんなに努力したのに。でもダメなんだ。しょぼん、って。でも、落ち込むのは強いからです。真剣だからです。努力したと自分が思えるのなら、時間と共に、また、適切なメンター的な出会いや支えてくれるひととの関係から、自信が湧いてくるのだと思います。そう単純ではないという意見もありましょうが、でも、心のチカラになっていると思うのです。

また、さらに大切なことは: 今の自分から比較するに高い高いその目標が、一体、何の役に立つ目標なのか、という点です。「自分はこの大学・学部に行きたい。なぜなら:」女子にモテそうだから、とか、どこかへの就職が良さそうだから、無難だから、が理由ではなく(ま、それでも良いのカモですね。若い時に目標に意義付けは難しいもの)。

「この大学・学部に行きたい、なぜなら、大学・学部やその先で、XXに取り組み、達成し、自分の周りの大切なひとや世の中の幸せにつなげられるから。こんなBHAGが叶えられるから。だから行きたいんだ。」のように、利他的に設定できることが大切だと思うのです。

大切な人・周囲の人に役に立つ高い目標が設定できれば、人は「努力が更に努力でき、苦労も、より前向きで楽しく、日々、継続できるようになる」。このことに気づけたら良いな、と思うのです。そう気づくと、自然とA.になるかなと思うのです。。。

自分の力で多くの役に立つ。その目標。そこに向けた活動。努力。

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