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悩む選択 v2-14:助けを期待する? 何事も独りでやるべき?

ボクともぐらさん。同じ夢を持つ。やさしいひと・やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする。心が強いからやさしくあれ、あるべきリーダーになれる。同じことを謳う「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)を手元に、組織という不思議な無形を真に強くすべく、やさしいリーダーへの道を約束。やさしい組織づくりと、職場で直面する悩ましい「どっちを選択する?問題」をアレコレ整理、学び中。

今日の悩み:

A.何事もひとりでは実現できないよ。役割分担。助けを期待し、助けてもらわないと。

B.何事も自分独りでがんばらないと実現しない。他人の助けなんて期待しない。

何事もひとりでは実現できませんね。当たり前です。生まれたときから永遠に、一瞬たりとも1人で生きているなんてことも無理ですし、人類の歴史上も独りのチカラだけで何かが発明・発見・創造されたこと、なんてありえないですね。

何かを成し遂げたい場合には必ず誰かの”助け”が必要になります。助けて!ってお願いしても、しなくても、自動的に助けられてしまいます。独りよがりにならず、自惚れず、謙虚に、周囲に、過去の先人に助けられて今、何かに挑戦している、と当然、思うべきですね。

パソコンで文章を書くにも、漢字を作った人々や、夏目漱石のような日本語という言葉を洗練させていった人々や、エジソンが電気を、ビル・ゲイツがOSをとか、ゴムやプラスチックを発明・発見、のみならずそれを事業化・貿易化した、その仕組・ルールを作った人々のお陰です。無限にいますね。

なんてこんな屁理屈的なことを言わなくても、家族がそっとしておいてくれたり、大切なひとが読んでくれる、ってわかることで、助けてもらっていますね。心の支えですね。助けて!って頼んだわけでないけど、期待してしまっている気持ちもあって、とても支えてもらっていますね。

だけど、ボクは絶対的にB.であるべき、だと思うのです。うっかり期待してしまうときもあるのだけど、自分独りでがんばる!という気持ちでいないと何も成し遂げられない、と思うのです。

自分独りでがんばる!という気概と覚悟。今の自分と将来の自分を信じる力。愚直な実行力。たまに逃げる気持ちと、ま、いいか!のテキトー感も。でも諦めない気持ち。必要だと思うのです。

「ひばりの引越し」という寓話があります。

春先に、ひばりが麦畑に巣を作って、子どもを生み、育て、夏になりました。大勢の村人がやってきて「そろそろ皆で麦を刈らないとなぁ。」とみなで会話。こどものひばりが「お母さん。麦刈りが始まるから引っ越さないと!」。母親ひばりは平然として「まだ、だいじょうぶよ」。数日後にまた、村人が3人ほどやって来た。「いやぁ、本当にそろそろ麦を刈らないとだなぁ」。「お母さん。こんどこそ本当に麦刈りがはじまっちゃうよ。早く引っ越さないと!」と幼いひばりが叫んだ。でも、お母さんは「まだ、だいじょうぶよ。」と引き続き平然として慌てる様子無し。また数日後に今度は村人1人がやってきて「では、ぼちぼちやるかな」。とつぶやいた。母親ひばりは子どもたちを集めて「さぁ、逃げましょう!」

次。前職での海外工場での検品作業。10~100万個の大量生産。安価な製造コストで品質が良いとは言えない。だから全量検品。

どうしても不良品を排除できない。目指す混入率(もちろんかなり低い)を実現できない。で、ダブルチェックのラインに変えた。全数を例えば5ラインをそれぞれ1人で、交代制で検品していた。これを、5ラインを2人の検品員で二重チェックする。でも。。。結果は変わらず。。。抜き取り検品での混入率が下がらない。改善しない。よくあるパターンだ。責任感が分散され、「次の人がチェックするから大丈夫でしょ」+「前の人がチェックしているから大丈夫でしょ」。見る目が甘くなり、不良品が排除できない。

次。大学からの友人が世に問うサービスのアイデアがある。会社もつくろうと思う。とのことで、ボクも手伝うことになった。

出資した仲間が数名。ボクはお金は出せないから、土日なら協力できるよ、との約束。作業がスタート。出資だけして口出さない仲間が3名。出資もして検討会議も参加する仲間2名、言い出しっぺ、とボク。なので、会議や作業は4人で始まった。

だんだん進めていくと、当然複雑になっていく。サービス作って、会社作って、世に出そうとしているのだから、当然だ。ママゴトじゃない。でも、1名が自分の仕事が忙しいし週末は家族ごとがあるからと離脱。もう1名も出張もあるし忙しくなってきたからと離脱。カネだしたからいいよね。作業まで約束は何もしていないよね、という理由。読みが浅い。で、言い出しっぺとボクが残った。ボクは約束したから、土日に付き合う。

麦刈りの村人も、検品員も、この友人達も、こういうものだ。本当によくあるパターン。

自分ごととして自分がやるという気概があり行動している1人が、世の中をやっぱりつくるんだ、と思う。助けは当然求めるべき時に求める。一生懸命やっているから、それを助けるひとが出てくる。どうしようも無い大きな壁にぶつかり、どうしても助けて欲しいときに、助けを求める。手を差し伸べるひとが、一生懸命である限りにおいて、必ず現れる。こういうことなのだと思う。

「何事も自分独りでがんばらないと実現しない。他人の助けは期待しない。」そういう気持ちで行動するから、助けが舞い降りてくる。最初から「何事もひとりでは実現できない。役割分担。助け合おう。」では、麦刈りをしない村人と同じになる。1人が、自分が責任を持ってやる、と思った瞬間からやっとスタート。

軽い気持ちで何かに乗っかる者は複雑、面倒、壁、しんどさ、などに直面するとすぐにラクに走り、真剣さを失い、役割放棄し、離脱する。

震災などの助け合い、こんな危機の時のボランティアや相互に助け合う場面では、一人ひとりが自分ごととして捉え、他人を期待せずに、一人ひとりがチカラを”高度”な精神状態で行動するから、だから、強いチームワークが生まれるのだと思う。

・独りでは何も実現しない。自分独りで始めた事業も夢も、独りでは絶対に何も実現しない。

・でも、自分独りで実現させるんだ、という心・気概・責任感が無いと、同じく絶対に実現しない。他人に期待していると実現しない。

・そして、「自分独りで実現させるんだ」という気概の一生懸命な者同士が助け合うから、”良いもの”が創造される。真の助け合い。どうかしら?

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