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悩む選択 v2-19:しんどく辛い時は逃げるべき? 諦めず努力すべき?

ボクともぐらさん。大好きな「ぼくモグラキツネ馬」というやさしさの強さを謳い、感動を与えてくれる絵本から互いをそう呼ぶことにした。やさしいひとになり、そう有り続け、やさしいリーダーになり、組織をやさしさで強くする、そんな共通の夢を互いの約束にして、やさしさを生み出す心の強さを訓練。この頃は、職場で直面する悩ましい「どっちを選択する?問題」をアレコレ整理し心の強さに役立て中。

今日の悩み:

A.しんどく辛い時は無理せずさっさと逃げるべき。心身こわしちゃったら元も子もない。あせらなくていい。どこかで必ず挽回できるから。

B.しんどく辛い時に、諦めず努力するから、胆力が付き、精神が強くなり、次に辛いコトが来ても乗り越えられ、何を達成できるもの。自分に負けたらダメだ。

これは、ボクともぐらさんは、絶対にA.派です。Bの気持ちもとってもわかります。そういうこともあります。我慢することで乗り越えた経験が自信になり、どこまで我慢すれば良いか見極めが付いて、今は辛いけど乗り越えられそう、って感度が出てくる。でも、本当にしんどくて、心が病んでしままったら大変。だから、それだけは避けなければいけない。そう思うので、A.なんです。大概のケースはB.かもしれないけど、もしも心身こわしちゃったらのリスクを鑑みてのA.派です。

ボク自身は、ラッキーで、辛くてもしょうがないから継続していたら、慣れたり、状況が変わったり。そして最もありがたかったのは、辛いときに、楽しみ・ストレス解消ができる、一緒にいてくれる友達がいてくれた、こと。週末にリセットが出来ていました。だから、ま、本当に辛かったのか?というとそうじゃなかったのかもしれません。

雑談ですが、最初の会社は、入社し配属されたその日から深夜2時まで仕事。そこからちょっと新宿の変なとこで歓迎会。次の日は9時に出社。それからほぼ毎日タクシー帰りの日々。個人タクシーさんが22時ぐらいに電話してきて、「今日は使いますかぁ?」。ビールとおつまみ付きでしたが、結構辛かった記憶。急性胃腸炎で救急車で運ばれたり、海外で免疫弱っているときに食あたりして辛過ぎるお客様同行出張したり、トランジットの空港で寝てしまって帰国のフライトをミスったり、上司に普通に殴られたり、色々ありました。

でも、この時は部署のみんながそうだったんです。ボクだけがとか、部下いじめとか、そういうのではなくて、みんなでやらないとね!っていう雰囲気なのです。先輩も40歳、50歳ぐらいの課長や部長もみんな深夜までがんばっていたのです。

つまり、しんどく辛いのだけど、「不健全なしんどさ・つらさ」ではなかったのだと思うのです。新人のボクでも役立ちたい、とか。皆がやれるならボクもできるはずだ、とか。短い日数でたくさん経験できる、とか。前向きなしんどさみたいな。

で、これが重要かなと思うのです。そのしんどさが「不健全」かどうか。自分にとって学びがなさそうな「不健全なしんどさ・つらさ」の時、自分だけがつらい状況、こんな場合はさっさと逃げましょう。だって、我慢しても何も得られない、と思うのに、ソコにいる必要ないですもの。

話変わっちゃうのですが、人生って、思うのですが、とても「限定的」ですね。どんなにがんばっても限られたモノ・コト・ヒトにしか接しられません。だから一生勉強なのでしょうが、自分が出会ったひと、好きになったひと、勉強したこと、読んだ本、見た映画、やってみた仕事、旅行した場所、訪れた海外、食べた料理、やってみたスポーツ・趣味。地球上ほぼ無限のうち、ちょっとだけ経験・体験しますね。

だから、いろんな可能性、機会が世の中にはあるのです。知らない世界がたくさん。それなのに、限られる自分の経験が、しんどく・つらいなんて、どうなんでしょう。だから、「不健全」にしんどく・つらい場所に、我慢することで何も得られないと思う場所に、心身を壊すだけかも知れない場所に、とどまる必要なんて無いのです。隣の芝は青く見えますね。それでいいのです。だから、とどまらずに「次」へとさっさと逃げましょう。

むむ、そもそも「逃げる」という言葉がダメですね。「逃げる」という言葉には、自分が弱く、自分がダメなんだと、なんか否定されているようなイメージを持たせられます。正しいことをしているのに逃げる主体が自分だとなんか”弱い自分”みたいな。脳みそが「逃げる」のは基本ダメってなぜか言います。教育の結果でね。「逃げる」という言葉とそれが醸し出す否定的示唆がとにかくいけません。

「脱出」とか「解放」とか「自由へ道」とか、の方がよくないかしら。なんかポジティブなイメージあります。旅行をEscape(=逃げる)で表現するケースも多々あります。

また、次のように思うとステキじゃないかしら。

地震や洪水などが来たら逃げますよね。当たり前です。逃げるという言葉のために、逃げずらくしてはいます。で、逃げ遅れるひとがでるのが残念です。一方で、大切なひとや周囲に声をかけて、あるいは助けに行って、仲間を「逃がすひと」いますね。とても尊敬され、感謝されます。危険をおかして、人々を助ける、そういう勇気ある立派な人達です。

同じですね。つらい・しんどい場所にいる”自分”を、助けてくれる”自分”です。”勇気ある立派な自分”が、”自分”を助けるのです。結果、”自分”は”自分”からとても尊敬され、感謝されます。今、逃がしてくれた”自分”にありがとうって。それに、おそらく将来の”自分”はもっともっと今の(将来になったら過去の)”自分”に感謝してくれるはずです。

だから、しんどく・つらくて、そこから何も学べないと思うのであれば、すてきな機会が周りたくさんあるので、気にせず、逃げましょう。「勇気ある立派な自分が、自分を助けて、自分と一緒に、自由への大脱出」です。

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