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ボクともぐらと 91_「経験・歴史」: 踏襲すべき? 開放されるべき?

ボクともぐらさんは会社の同僚。お互い新たな道を進むので同僚でいるのは8月まで。2人はやさしいひとになり、そうあり続け、やさしいリーダーになり、やさしさで組織を強くするという同じ夢を偶然持つ。「ぼくモグラキツネ馬」(絵本)が大好きで、やさしさの強さを再確認。この夢を互いの約束にして日々、一歩一歩、学び・気づき、約束の道を進んでいる。その徒然草note。

「自分の経験からはこれは上手く行かない。だから止めてください。先方には上から言われたとでも言って。9月中には正式判断しますが、これは上手くいかないです。」と上司に言われた。と、アイム君がボクのデスクに来て。数ヶ月ずっとやってきたのに、今更、「経験」でダメだと分かっていると言われた、らしい。アイム君は自分は「経験」が無いから、上手く行く/行かないはわからない。だから上手く行くように努力するだけだ!ぶひぶひ!とのこと。

ま、上司は朝令暮改、大好きです。でも、昔から「経験」って何だ?って思っていた。回数?インパクトがあれば1回でも十分? 良い経験も悪い経験も、自分の将来に良い影響するの? 学ぶべきなの? 忘れるべきなの? 都度都度なの?

イギリス文学作品 トマス・ハーディ作の「テス」という作品が好きだった。高校生の時。その後も何どか読んだ。学生時代に好きは本はと聞かれるとテスと答えていた。まだ、その時の岩波文庫の色あせた上下本がある。暗く悲しい話。貧困・過酷な人生に翻弄される女性の話。強欲的な利己的な男性と、一方で良い人なんだけど理想的・進歩的で視野の狭いある意味こちらも自分勝手な男性に人生を翻弄される話。

学びとしては、人生強く生きないと、とか、やさしくありたい、とか、強欲は嫌だ、とか、許す力を持ちたい、とかを思った記憶がある。詳細忘れていながら、”この本は好き”、って言いなさい、って脳みそが言っている。

で、この中に、経験って一度で十分。心に強く残る、忘れられないような、そんな経験なら、って趣旨があった、はず。実はそのページを見つけられていない。パラパラしたけど、見つけられず。でも、その記憶がある。そっか、経験って回数が多いから、自分の心に残り、学びになり、知識になり、技術になり、行動に影響する、と思っていたけど、「確かに回数じゃない!」と思った若い頃。その気づきは今も真実だと思っています。

でも、自分の「経験」は(他人の経験も)確かに、それが真理なのか、いつも未来に役立つのか不明。くだらない例だけど、自社商品を営業する際も、昨日上手く行ったトーク内容やスタイル(下手、上から強気、丁寧、プロっぽく、とか)や価格、条件が、今日上手く行くとは限らない。統計的には”勝ちパターン”なんて言われる定義は可能だけど、曖昧な表現にしかならない。例えば、顧客のニーズを確認する、とか、割引は最後にする、とか。でも、ニーズの詳細は客によって変わるし、GOサインが出る割引の程度は千差万別。

自分の過去の経験が、今の自分の行動を左右し、且つ、踏襲しがちになるが、それが自分の目指す未来にプラスかは怪しい。経験に照らして未来を予測するのも怪しい。

そういう意味では「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」なのでしょう。歴史から学び、経験のみに固執した失敗を避るべきなのでしょう。「歴史は繰り返す」という言葉もありますし。

技術が進歩し、生活習慣が一部変わっても、同じ人間の営みなので、”繰り返す”ことは、そりゃ、必ずありますね。そう思います。遺伝子に左右されますから7万年ほど前のホモ・サピエンスがアフリカから出たぐらいと比較しても、同じことを繰り返すかもですし、100年前ぐらいのちょっと前?のことなら、繰り返すかもですね。

でも、「経験」同じく、「歴史」から「将来」を予測するのも怪しいですよね。屁理屈かもですが、みんなが(多くの人やその将来に影響力あるひとが)その同じ歴史を学んで、違う行動をしたら、繰り返されないですね。それに本当にまったく同じ条件だったとしても、合理的でない人間の営みですから、多数が違う選択をしえますね。普通にありえます。

ただ、歴史を学ぶ意義は大いにあるとは思います。ボクの考えは:

1.その出来事の起源、原因、背景を知って、今、現代に残る慣習・価値観を自分の信念として実施するか、あるいは異なる道を歩むか。
2.何事にも起源があり、つまり永遠不変の営みなんてないと学び、今の自分の思考・行動に自由をもたらす
3.似たような行動でも異なる結果が生み出された歴史を知り、答えはないと認識し、今の試行錯誤を楽しむ
4.小説的に映画的に、歴史の出来事・因果関係の純粋な面白さを知り、自分の人生でも自ら面白いと思う行動をする、とかですかね。

同じような主旨を繰り返してますね。ま、つまり、自由でいいんだ、今どうするかを過去に縛られずに思考し行動すればよい、ということを学べるという意味で、歴史を学ぶと良いと思っています。

だから、お仕事では、自分の経験やチームの経験、その会社の歴史や世の中の歴史に、縛られず、”開放”されて、都度都度、仲間で議論して決めたらよいですね。答えが無いのが答え、です。自分とチームを信じて、未来に希望をもって判断!

しかし、この考えもまた、つまづく。

個性ってなんだ、になります。「テス」という本を読んだ経験、そこから色々考えた経験、過去の経験・歴史が今の自分の性格を形成しているけど、それに縛られないで将来を見るべき、だとしたら、その経験や歴史が生み出した今の自分・個性って重要ではない、のかしら。

今の思考のくせ、行動のくせ、が自分であり、個性であり、とてもステキなのに。むむむ。

「経験」って何んだ。「歴史」って何んだ。「将来」に良いのか悪いのか?

冒頭の例では、上司という個性は、過去の経験を経た今の上司の個性は、その案件をSTOPすべきと思考する。アイム君という個性は、自分に類似の経験がないと思っているから、類似の案件の成功失敗の歴史を知らないから、この案件が上手く行く/行かないは、これから次第と思う個性。。。やっぱり、都度都度、自由に議論して決めればいいのかな。とりあえず、そういうことで。

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