学ぶことに目的が必要?

「学ぶ」って?

 今年になって、すごく思うことがある。
 というよりもむしろ、その思いが強くなり、自分の中で明確になってきたことであるが…
 公立の学校で勤務するようになって思うことである。
 それは……
     学ぶことに目的が必要なのか…と。

「目的をもって学ぶ」ってどういうこと

 何かを学んで、その「結果として」できるようになったり、分かりようになったり…そういう経験を通して、「学びって愉しいな」と感じてきた。さまざまなことを学ぶことがたのしくて、時間を使ってしまったために、多くの犠牲を払ってきてしまったことも事実。それでも、今となっては、『仕方ないこと』とあきらめている。
 そういう中で、今、とても違和感をもっている。
 それは、『目的をもって学ぶ』という考え方だ。
 「えっ、それが普通じゃないの?」という声が聞こえてきそうだが、ちょっとだけ考えてほしい。目的ってなに?

『大学に合格するために学ぶ?』

 これって本末転倒だ。
 ある意味、学んだ結果として、合格し、その結果として、そこでさらに深く学ぶことができて、そして……ということではないのか。
 目的をもって何かをするっていうことが、とてもいいことのように言われているように感じるが、それはあくまでも「効率がいい」ということであって、それが本来の姿というようには感じられない。少なくとも、「心からの幸せをつかむ道」つながっているようには思えない。ましてや、その目的を達成したら、やめてしまうことになったら、やる気が失せたら…

もともと「学びはたのしいものである」

 「学びは本来、人として愉しむためにある」と思う。
 そう、もっと、生徒たち、子どもたちに学ぶこと自体を愉しんでほしいと思っている。
 学校は、もっと「学びを楽しくする場」であるべきであると思う。 
 それは無理なことなんだろうか?
 個人的には、そんなことはないと考えている。そして、自分なりには努力しているつもりである。
 その中で苦痛なのは、試験を行わなければいけないこと、評価しなければならないことである。
 もしかしたら、やっぱり、自分はこの仕事は合わないのかもしれない…
 みなさんは、どのように感じるであろうか。

「目的として」ではなく「結果として」ついてくる

 こんな考えで学ぶのでは甘すぎるのであろうか…


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