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本質的な介護とは何か、

緊急事態宣言だろうが、ゴールデンウィークやお正月だろうが、介護はとまらないことを知っている谷村かいごです。


介護の本質とはなにか、それを考えるに、昔の介護から、今の介護までの介護を知り、昔も今も変わらないものを考えると見えるのではないか、と考える。

前の記事で、200年前は、介護をする人を「介抱人」と呼んでいたみたいです。

多分、いまでは、この「介抱人」が、ケアヘルパーと、ケアラーに別れて表現されている。

ケアヘルパーとは、介護士のこと。

ケアラーとは、家族の介護をする人のこと。

昔の介護と、今の介護

昔と今での変化とするなら、老人保険制度から、介護保険制度になり、社会構造や仕組みは大きく変化しました。

でも、内容はあまり変わっていないかもしれません。

もちろん、昔でいう宅老所は、小多機になり、それより昔には、多分デイサービスという仕組みはなく、家の中で、ケアラーが介護をしていたんだと思います。

このように、仕組みは変わりました。でも、介護をする内容はほぼ変わらないんじゃないでしょうか。

いや、でも機械化による文明の力は、介護の仕組みだけでなく、布おむつから、紙おむつに代わり、入浴介助は、特別浴槽ができ、人力よりも安全に入浴ができるようになりました。

車椅子だって、昔はなかった。歩行器も、でも杖は、木で作られていたと思います。笑

でも、やっぱり介抱人が行う介護と、ケアラーが行う介護の本質的な部分は、大きく変わったのかというと、疑問ですね。

介護をしてあげたいと思う人

介護は、必要に駆られて、「やるべき」だから行う介護と、「したい」から行う介護とで大きく違いが生じると思います。

そして、理想はその人の介護を「したい」から行う、が一番自然で、あるがままの本質的な介護だと、考えながら思っています。

みなさんが、その人のために「介護をしてあげたい」。そう思う人はいますか?

僕は、やっぱり家族なのかもしれません。家族が車椅子生活になったとしたら、僕は自分の能力を全力で使って、家族を介護することでしょう。

ただ、一人で介護はできないことも知っています。これはこの本からも学びました。

他人さまの手を煩わせず、家族で介護をしたい、という志はとても素敵だと思いますが、現実はそう簡単ではないことを、この本を通じて、リアルの介護が教えてくれます。

介護を「したい」と言ってくれる人

反対に、もう一つ質問。

自分の周りに「あなたの介護をしたい」と思ってくれそうな人はいますか??

ドキッ!! って感じですね、でも、僕の妻や、娘、息子は、きっとそう言ってくれるんじゃないかと、思いたいところです。

本質的な介護という話に戻します。

昔も今も変わらない介護とは、正直わかりません。笑

でも、その人の介護を「したい」と思う介護士が、介護をする。これは、蓋を開けずとも、良い介護をしていて、でも、一人じゃキャパオーバーするので、同感する人が複数名いてると、理想的であり、これが本質的な介護なんじゃないかな。

仕事だから、やらなければいけないから、と「やりたくない」感情を秘めてる介護士に介護をされるのは、人と人との触れ合いの中で言葉にせずとも伝わるもの。

介護を「したい」と思ってくれる人
介護を「しなければいけない」と思っている人

どちらの人に介護してもらいたいか、というと、圧倒的に前者ですよね。

まとめ

ということで、いまのところ僕が思う本質的な介護とは、の解は、
『 介護を「したい」と思う複数名の人が行う介護 』です。


まだまだ、道半ば
谷村かいごでした。


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