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読書感想"悲しいだけの世界じゃない"

読んだ作品: 河野裕『君の名前の横顔』


大きく言えば、船と年輪の話だった気がする。足し算だけでここまできたわけじゃなく、忘れてしまっただけで、自分の船が沈まないように、抱えきれない積荷を捨ててきてしまったんだと。でも、全て抱えきれないなら捨てていいのだと。

でも本当はそんな簡単な話じゃなくて、正義感の話だったような気もする。僕が、〇〇活動が苦手だという理由に通ずるものがあって、僕は誰かに、これが正しいのだと「理解してもらう」「説得する」のが気持ち悪いのだ。正義感と名前がつくだけで、それは他人に押し付けていい代物になってしまう。だから、僕は子供に関わる仕事に就きたくないのだ。子供は(乱暴によく聞く言葉を使うなら)純粋で、無垢で、希望と自由に満ちているのに、ブラックボックスを潜り抜けると、「つまらない大人」になっている…ような気がしてしまう。そのブラックボックスに組み込まれてしまうのが嫌なのだ。きっとその「仕組み」に違和感を覚えない人が周りには沢山いて、その中でもみくちゃにされないように自分を守りながら、あの純粋さをひとり守っていける気がしない。純粋さを守るにはその「仕組み」の中にいるしかないけれど、それはきっと僕の大切なものを諦めることと殆ど同義だ。

大人が言う、常識って何だろう?偏見のコレクション、ならば最近まで更新されていた若者の常識の方が「正しい」のか?新しければ正しいということが既に偏見ではないか?
そんなくだりがあったけれど、常識と言われるものに、反抗したくなることはある。でも全部に反抗していたら僕の船は沈んでしまう。誰かが捨てる「もう一つの正義」のようなものを一つ一つ拾い集めていたら、船に乗り切らなくなる。だから、捨ててもいいんだと、ジャバウォックを無視してやり過ごしてもいいんだと、あの人はそう言ったんだろう。

大人はまた違った戦い方をするんだよ。

そんな風に言われてから、僕はずっともやもやしていた。それは何かを諦めているんじゃないか。その場で、その気持ち悪さと怒りと抵抗を、示すことが正しくないことだってあるだろう。それでも、正しくなくても守らなくてはいけないものが、僕の世界には存在している気がした。だから僕はこの「安全な生活」をドブに捨ててでも、守らなければならないものがあるということを、覚悟しなくちゃいけないと思っていた。だからこそ、10代の僕は溺れかけたのかもしれない。だけどあの時の僕も今の僕も、まだ認められないのだ。別の大切なものを守るために、「安全な生活」の代わりに捨てなければならないものがあるということを、まだ許せない。

それでもいいのかもしれない。
そしていつかそれを捨ててしまう自分も、許してあげたっていいのかもしれない。

『それはきっと当たり前で、だからここは、悲しいだけの世界じゃない。』


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