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【読書感想文】舟を編む

2023/1/11 読了時間約3時間半(1時間100頁弱)

最初にお断りしておきますと、僕は読書感想文が苦手です。この文章は、本を読んだ後の内容と連想の記録と思っていただけるとちょうど良いかと思います。



辞書を作る話だということは知っていた。でもそれは言葉に向き合う、途方もない作業の連続でもあって、ああそういうのいいよな、絶対楽しいけど大変だろうな、でも楽しそうだなって思った。

西岡が好きだった。言葉と向き合い、言葉のセンス?感度?の高い馬締(まじめ)も好ましいっちゃ好ましいけど、いや、ここは西岡でしょう。あの、本気で打ち込めるものの見当たらない虚しさや悔しさ。パズルのピースがぴたりとはまるように打ち込めるものに出会い、頭角を現していく馬締への胸の内に隠した嫉妬。それでも温かく見守り、馬締の苦手な外回りをこなし陰で支える。馬締との才能の差を目の当たりにする日々の中でも、実はその直感的で自由なセンスが生かされることがある。



あの人がいつか、私に言ったことがある。自分は言葉の世界の住人ではないけれど、あなたが言葉(の世界)の深窓の傍に腰掛けて、私をその世界に招いてくれるのだと。
その情景を思い出した。
深窓は深層、でもいいかもしれない。あなたは"言葉の海"からの検索能力に長けている、ともあの人は言った(そうだといいのだけれど)。私も、海の中で文章を織り上げる感覚があるから、
海の中は、尖った音のない世界。穏やかに揺蕩う言葉がそっと掌に降り積もるのを待つか、流れゆく言の葉たちから煌めくひとつを手に取るか。そんなことを繰り返して、言葉に丁寧でありたいと思う。



言葉は自由だ。それは言論の自由のことではなく、言葉というものの自由さだ。それが、国家が編成に関わらないからこそ維持されている(こともある)というくだりもあった。民間で辞書を編むということ、なるほど確かに、揺蕩い変わりゆく言葉たちはきっと自由でこれらかも形を変えていくのでしょう。
言葉を海を渡るための舟を"編む"。それは広くて深い言葉の海の中で、私たちが曖昧だったものを言語化し、記憶し、他者へ語り伝えるのになくてはならない、ひとつの安堵(となるもの)であってほしいと願います。

余談
ずっと家にあった国語辞典は三省堂さんの新明解国語辞典でした。
本文中、三省堂の『新明解国語辞典』は語釈が独特と記載がありました。恐らく実際にそうなのでしょう。辞書ごとに見比べたことがあまりないので詳しくは不明ですが、懐かしく思い出しました。
小学校の国語の授業で、明日読むページに出てくる知らない言葉を調べてまとめてくる、みたいな宿題が毎回あったのです。
で、辞書を引くのですが、ノートの一行にそれがもう収まらなくて。縦線のみ入った国語ノートの一行の中に小さな字で二行、時には三行詰め込んで書き込んだのを覚えています。とにかく長いのです、でも、面白い。確かに、つまらない語釈は少なかったように思います。

例えば(適当に考えたものですけれど)、友達の(義務教育向けの?)国語辞典では

「信頼……人を信じること。」

くらいだったとしましょう。すると、新明解ではこんな感じ。

「信頼……(主に〇〇や△△などにおいて用いられる語として)××が⭐︎⭐︎であるということを◎◎しており、かつ▲▲していること、または▲▲している状態。」

…長い!

でも、違和感があるわけではないのです。だからそれは言葉に対して不必要な語を並べているのとは違う。かえって私が疑問だったのは、同じくらい重たくて分厚い友達の辞書(あるいは学校に置いてある辞書)では、どうしてこんなさらっとしか記述がないのだろう、ということでした(時々、早く宿題を終わらせたいがために学校に残って簡単な辞書で語句調べを済ませることもありました)。

今も手元にある辞書は新明解国語辞典ですし、新しく買い直すとしても新明解がいいなと思います。それか、いくつか別の出版社のを買ってハシゴするのも良さそうです。最近はネットでぱぱっと調べて終わりにしがちだけれど、紙でまた調べてみようかなと思える作品でした。

割と"まじめ"に感想文になった気がします。
なぜ急にこの本を読んだのかとか、書きたいこともあるのですけれどそれはまたどこかで…



***

最後まで読んでくださりありがとうございます。
明日に明るい色がありますように。


本の紹介
三浦しをん『舟を編む』(光文社)
2012年本屋大賞受賞作

(私が読んだのは文庫版です)

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