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【短編小説】生きろと息を吹きかけた

2022/11/22 12:51〜

***


「おいおい、まだそんなぐだってんのかよ。」
バイトから帰ってきたあいつが呆れたように言う。

ミケたちがあいつを見上げていて、床に伸びた僕のことはもう障害物程度にしか認識していないみたいだった。

「…買い物、してくれたの。」

ビニール袋をがさごそして、あいつは肉やら野菜やらをテーブルに広げた。

「…じゃあ、後はよろしく。」
「…もしかして、後はやれって?」

これ貸しな、そう言ってあいつはこんな真冬にカップアイスの蓋を開けた。
「当然だろ、俺はカレーしか作れん。」

「…じゃあカレーでいいじゃん。」
やっとのことで床から体を引っぺがして、あいつがテーブルに広げ散らかした戦利品を確認する。

「…お前、買い物したことないだろ。」

あいつがアイスを頬張りながらへへ、と笑った。
「え、何そんなわかるもん?」

「…わかるも何も、テキトーなもん買ってきやがって。」
キャベツに人参、玉ねぎ、きゅうり。肉はてんでバラバラで、鳥もも肉に豚ロース、値段も見ずに買ったのかそこそこいい和牛カルビに鶏ひき肉。何故かキノコ類が豊富で、椎茸、しめじ、エノキ、そしてエリンギ。最後に卵と牛乳。卵もいつも買う6個入りの安いのじゃなく、10個入りの、しかも250円はするいいやつだ。

「何だよそんな微妙な顔して。重い荷物担いでここまで持ってきたのは俺なんだからな。」

そう問い詰められると確かに少し苦しい。いくらあいつがここに入り浸り、飯食って雑魚寝して帰っているとは言え、家主である自分がこうも使い物にならないのが全ての元凶と言われたらそれまでだ。備蓄のカップ麺を消費する日々に、さすがのあいつも危機感を覚えたのかもしれない。

「…とりあえずなんか作るわ。」

「おお?久しぶりの手料理?」
あいつが食べ終わったアイスカップを持って立ち上がる。
「やったね、ビールも買って来てあるんだわ。」
…まあ、お前の金だけど。
そう言ってあいつがにやりと笑う。

確認すれば確かに財布からお札が数枚消えている。
「…な、おま」
アイスカップをゴミ箱に放り込み、あいつは素知らぬ顔でさっき買い込んだ肉を冷凍庫に突っ込んでいく。
「あ、ケイ、その肉は置いといて。今日使うから。」

「ほいほーい。」
そう言って今度は案外手際良く野菜を仕舞っていく。食事は自分に頼りっきりのあいつだが、何だかんだ言って悪い気はしなかった。

**

あの時の貸しを、と誘われた(厳密には連れて行ってくれとせがまれた)のは、中央アルプスのキャンプ場だった。たまたまSNSで見つけ、ハイキング、温泉、BBQ、テント泊、と一気に気持ちが盛り上がったらしい。

あいつの家にはそういった"装備"がなく当然知識もゼロだから、そこからスタートするのはかなり大変なのは想像できる。それで僕のところにやってきたのだろう。借りを返せよと、痛いところをついて。

流石に防寒具や靴等の装備は揃えてもらい、何とか夏のシーズンのうちに間に合ったのだった。
ライターを取り出し、炭を積んだ焚き火台の一番下、段ボール質の着火剤に火をつける。順にすぐ上の小枝、小さく裂いた薪と火が広がっていく。やがて安定した炎が立ち上がると、焚き火台の上に鉄板をセットする。

一息つくと、ちょうどあいつが洗い場から帰ってくるところだった。カットした野菜がテーブルに並ぶ。

「いやあ、9月の平日は案外空いてるもんね」
そのまま、クーラーボックスから缶ビールを取り出してあおりながら、あいつが薄暗くなってきた周囲を見渡す。観光を終え、目星をつけていたキャンプ場に到着したのが16時過ぎ。そこから良さげな場所にテントとタープの設営をして、先程近くの温泉から帰ってきたのだった。そろそろ日も落ち、木々の黒い影の向こうに、点々とキャンパーの焚き火やランタンの明かりが覗いている。

「このくらいの方がうるさくなくていいよ。」
温まってきた鉄板に、肉を乗せると美味そうな匂いが漂う。

「そんなもんかな。」
キャンプやアウトドア歴がゼロに等しいあいつは呑気にそう言った。

夏のシーズン真っ只中だと、お隣がテントに引っ込んだら騒音に気遣ったり、逆にマナーの悪い客に深夜叩き起こされたりする。8月と比べれば9月は利用者も少なくかつ涼しいので、狙いどきでもあるのだ。

たらふく肉を食べ、飲み、昼間のハイキングの心地よい疲れにまぶたが重くなる。

「俺、そろそろ寝るわ。」
あいつが眠そうにそう言って、サンダルをペタペタ言わせながら藪の向こうに消える。
「…近くですんなよな。」
どうせあいつには届いていないだろう。マナーとしてはかなりグレーだが、今回は目を瞑ることにした。

帰ってくると、テントの入り口をジーと開ける音が響く。この音を聞くと、野外で泊まるという実感が湧いて、何だか良い。

赤く、ぱちぱちと瞬く木炭の灯りに目をやった。もう炎は消え、炭の中が赤く熱を放っている。そろそろ火を消して、自分も早めに寝た方が良いだろう。明日も朝から予定を詰めてあるのだ。そうとわかっていても、風を受けてあちこち点滅する炭を見ていると、何だか目が離せなくなってしまう。

背後のテントの中で、あいつが寝返りを打つ音がする。
炭の淡い熱を頬に感じる。そろそろ、僕も寝ようか。




どうせ明日も、またけろっとしたあいつに振り回されるんだろう。


明日は早めに帰って、実家に預けてあるミケにお土産を渡そう。

よく見える星空を見上げて、うんと伸びをする。








こころに、生きろと息を吹きかけた。






***

後日、後書きを書く予定。タイトルのフレーズだけ思い浮かんで、そこから小説に落とし込んだ作品です。

練り込めていないところもあったかもしれませんが、楽しんでいただけていたら嬉しいです。


明日に明るい色がありますように。



おやすみなさい。




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最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。