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【短編小説】縫い目


部屋を引き払う準備をしていた。住み慣れた部屋ではあったけれど。



夏は暑く冬は寒さの厳しい、古いアパートの一階、西の角部屋。薄いカーテンの向こう、風を迎え入れる掃き出し窓の先には、庭とも呼べないほどの小さな空間。

荷物をまとめてみると、思ったより少ないのだった。がらんとした部屋に大きなボストンバッグがふたつ。残りのものは捨ててしまった。もともと、これほど長居する予定もない土地だった。

これから生活が変わるというのに大した感慨も実感もない、しんとした自分と少ない荷物。まるで放浪する旅人のように、これからも揺蕩って暮らすのだろう。


そんながらんとした部屋を見回してふと、あの庭が目に留まったのだった。


花を、植えようか。

そう思った。


花は好きだった。ただ依頼仕事をこなすうちに忙しい日が続くと枯らしてしまったり、植える時期を逃してしまったりするから、随分前にもうやめてしまったのだった。それでも花を買ってきたり、野の花を飾ったりするのは好きだった。

種を買ってきて伸び放題の草を抜いた。伸びをしたついでにお隣を覗くと、さっきまでのこの庭と同じように草が茂り放題だった。

お隣が越して行ったのはいつだったろう。一年、いや二年ほど前だろうか。出ていく人はいても、やってくる人はいない、寂れた町の古いアパートだった。たくましい野の草たちはこうして生い茂り、いつかコンクリートの割れ目から芽を出し壁にツタを絡ませ、生きていくのだろう。


種を蒔いて水をやった。この部屋でまた別の誰かが生活することもないだろうし、花に気がついても誰も気にも留めないに違いなかった。それでもこの子たちはきっとたくましく生きるだろう。



種を蒔き終わったころに近所の女の子がフェンス越しに話しかけてくれたのを、戸締まりをしながらぼんやり思い出していた。ときどきバス停で挨拶を交わすうちに仲良くなった子だった。あの子はもしかしたら、この子たちの行く末を見守ってくれるかもしれない。


自分がここに存在していた証拠を残したいというわけでもなかった。ただ誰もいない街の一角に咲く、鮮やかなコスモスが見たいと思ったのだった。


――地球最後の日に、花を植えるようなものだよ。――


がらんどうの部屋から最後に庭の方を見て、あの子のきょとんとした目を思い出していた。



地球最後の日に、あの子は花を植えるだろうか。







***



地球最後の日に、花を植える…

それはとても不思議なことのように思える。何のために花を植えるというのだろう?
誰かに見て楽しんでほしいから。自分が楽しみたいから。育てるのが好きだから。それとも、誰かからもらったその種を受け継いでいきたいから…?



地球最後の日に、花を植える。それはそのどれにも当てはまらない。なのに花を植えようと思ったのなら、きっとその行動に意味を見出したからで、もしくは全く意味のないことをしたかったからで。



一問一答の自己紹介を見ていたとき、僕は「地球最後の日に何をするか」という質問を見つけた。面白そうだったから考えてみた。「晴れていたら花でも植えると思う」僕はふとそんなことを思っていて、思ってからそれはとても自分らしいとしっくりきた。


世界が終わるなら人はみな終わりに向けて行動するだろうし、あるいは終わらないように抵抗するかもしれない。だけどそのどちらでもなく、僕は小さな抵抗をしたくなる。



地球最後の日に、鮮やかに咲く花があればいいのに。誰もいない荒廃した街の一角に、風に揺れる花があればいいのに。陽を受けるその姿はきっと場違いで、世界の終わりには不釣り合いな美しさだろうから。


そう思ってこのふたつの小説を書いた。本当に地球最後の日を描こうとすると途端に難しく、かつファンタジーさが出てしまうので、町を離れる青年のお話にした。でも僕が描きたかったものはおんなじだ。小さな、誰にも気づかれないような反抗のお話。タイトルを縫い目、にしたのは何というか、その一角だけ風景に馴染まない鮮やかさが、白い布地を色付きの糸で縫ったような、そういう別世界との縫い目のように思える気がしたから。


地球最後の日、僕はきっと花を植えるだろう。


それが無意味だと言われても別にいいんだよ。




↓女の子目線のお話はこちら



最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。