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ーー男友達とケッコンしたいーー

異性の友達、の話。価値観の合う男子と一生一緒にいたい(友達でいたい)と思っている。


高校生のとき何となくケッコン、というものについて考えていた時期があった。高一の冬くらいだ。僕の母親は23で結婚しているのでそんなに遠い話ではない、ような気がしていた。
その頃は、自分も20代中盤か後半くらいでケッコンするんだろうなと思っていたし、それが特別嫌だとか思っていたわけじゃなかった。ずっと1人は寂しいだろうからケッコンはするんじゃないかなあっていう、そのくらいの感覚だ。

20代になって周りがどんどんケッコンしていったとして。陸上部の彼や他の男子の友達と、自分は疎遠になっていくんだろう。彼らの価値観や思考がどんなに好きでも、一緒にご飯に行って近況報告する、なんてことが出来なくなる。そう思うと寂しかった。僕は一生、彼らと友達でいたかった。時々会っては話をする、一生そういう仲でいたかった。


誰かの隣でずっと、その価値観に触れていたい。そう思うなら、その人とケッコンすればいいのかもしれない。例えば君とケッコンしたら、君はいつでも僕と笑って話をしてくれるのかもしれない。

ケッコンすればこの先も僕はその人の価値観(に裏付けされた言動)に触れられる。その人の選択の理由となった価値観が何なのか、訊いてもいいような仲でいられる。


それはとても素敵なことで、あまりに魅力的だ。ただの友達程度じゃ聞けないことも話してくれるかもしれない。相手も僕の価値観を好きでいてくれて、一緒にいても彼女の存在や世間体を気にしなくていいなんて。ある一面において、僕が目の前の1人の特別でいられるなんて。自分が誰かの一番になれるとは思えなくて悩むことも多いから、誰かの特別(ケッコン相手という唯一無二)になることはすごく安心できるのだろうなと思った。





ススキさんは結婚願望あるの?
陸上部の彼にそう訊かれたのは、そんな取り留めもないことを考えていた頃だった。


それはあるよ。
僕はそう言った。

ーー男友達とケッコンしたい。ーー

そう続けたら一瞬間が空いて、陸上部の彼は笑った。
いやそれは無理やろ、って。


やっぱりそう思うよねって、何となくわかってはいた。でもショックだった。男子がそんなほわほわした結婚観や恋愛観をもってないことは知っていた。でもそれでもちょっとだけ、僕の感覚を「いいんじゃない」って肯定してくれないかと期待していた。



彼が言い淀んだその一瞬に、彼が考えたであろう思考を想像した。



男友達と結婚…?それは(例えば俺とススキさんのように)異性として、恋愛対象として好きってわけではない相手と結婚するってことか?異性として好きでもない人とヤる、子供育てる、同じ部屋で過ごすってこと?ただの友達やのに?この人、ヤるってことが何かわかってるよな?え、もしかしてケッコンしたら当然ヤることになるってわかってないとか(でもそんなことないよな)?



…いや、それは無理じゃない?




こういう、一連の思考回路をイメージしてなぞって、僕が取り留めもなく考えていた理想の関係との差をはっきり理解した。



それは無理だ。僕にはそんな結婚は出来ない。


彼の発言自体というよりは、彼が言い淀んだ一瞬の思考回路を再現し、僕自身の中で再生された思考のイメージに傷ついていた。彼がいくら好ましくても、少なくとも彼とはケッコン出来ない。彼は普通のケッコン、をイメージしているごく普通の男子なのだ。高校時代の彼、と僕が呼ぶ人とも多分ケッコン出来ないし、この先出会う大抵の人と僕の価値観は合わなくて、ケッコンなんて出来ないだろう。




そうわかったから、それ以降僕に結婚願望はない。


厳密に言うと結婚はしたい。でもそれは一生その人と一緒にいたい、親友のような気を許した存在でいたいという意味だから、一般にイメージされるような「結婚して子供作って親に孫の顔を見せに行く」みたいな「結婚」じゃない。だから多分、パートナーがほしい、という言葉の方が合っているだろう。


例えケッコンしても、僕は子供は欲しくない。いや、僕が子供を産まなくていいならいてもいいかもしれないけど。こどもをうむっておとなのおんなのひと(のやくわり)だよね。なら僕は違う。僕が母親の年齢に追いつくことが決してないように、自分が「大人の女性」になる日なんて来ない気がしている。




そういう僕を理解してくれる人とケッコンしたい。僕の理想のケッコンは、「引きこもりの弟だった」という小説に出てくるケッコン、なのだ。


家に帰ると誰かがいる安心感。自分の許せる距離感で親しくしてくれる人。距離感を測ろうとしてくれる人。そういう他人と共にいるということ。(そういう行為、自体が無理だと思っている訳ではない気がしている。自分に全く性欲がないとは思っていない。)


でも人と付き合ったことがない僕が何と言ったところで、「本当に好きな人ができたらわかるよ」とか「好きな人出来たら自分のこと可愛いって思ってほしくなるものだよ」とか言われて、その可能性を否定することもできない。



「自分が大人の女の人だとは思えない」
「彼氏に可愛いと思ってほしいわけじゃない」
「ケッコンしたいと言っている同年代の女子のうちどのくらいの人が、自分が母親になる姿を具体的にイメージしてそれを受け入れているのか」
「それほど女子の自分を受け入れられない」



そう言うことを言っても、「大学生男子なんて親になる自覚なんか持ってる人はもっと少ない」と言われてしまった。僕の言いたかったニュアンスは理解してもらえなかった。君が言う、大学生男子の「自覚がない」っていうのは、若いうちに遊んでおきたいってことだろ?

僕は今のうちに遊んでおきたいわけじゃない。恋人はほしいけど、女子扱いされたり、「大人の女性」として気を使われるあの瞬間の居心地の悪さを正直に伝えられるような、伝えても受け入れてくれるような、そういう人と一緒にいたいだけ。




いつか僕も、一般的な意味でケッコンしようと思う日が来るかもしれない。そのときはこの文章を読み返して、自分の中で何が変わったのか考えてほしい。将来そんなこと思うようになるなんてなあって思う今の自分の価値観を、僕はここに残しておくから。




最後まで読んでくださりありがとうございます。読んでくださったあなたの夜を掬う、言葉や音楽が、この世界のどこかにありますように。明日に明るい色があることを願います。どうか、良い一日を。