少数派であってもいい。それがしたいなら、少なくとも、私はあなたを応援する。
葉っぱには色がある。
緑、黄、赤、茶。
どれか一色だったら、きっとつまらない。
色んな色があるからこそ、私たちは惹かれ合う。
お互いを素敵だと思い合える。
***
・これから何か新しいことを始めようとする人。
・人と違ったことをしたいなと考えている人。
・あれ、元から何か自分は人と考え方が異なっているのかな。と思う人。
そんな方に読んでいただけたら思います。
少数派が否定される理由。それは無意識な数の優位性。
日本という社会は少しだけ特殊なんだと思います。
島国であり、外からの価値の流入が他の国と比べて少ないから。
自国だけでも生存できる力がついてしまっているから。
それにより、自分の価値観と異なる人が少ない気がします。
そういう意味で
・多くの人と違うことをしている
・または多くの人とは別の状態にある
だけで苦労します。
少し具体的にすると
・学校でも髪の色が違う
・学校で夏なのにいつも長袖を着ている
・就活をせずに、特に目的もなく生きている
身の回りで少なからずあったのではないでしょうか。
他の人から見たら、その人の髪の色や服装、行動がどうであれ全く関係のないことなのに。
「あの子ってさ、変だよね。」
「みんなと違っているよね。」
しなくてもいい比較をしてしまいます。
それは、多数派と少数派、という構図が無意識のうちにできあがり
比べることで、優位にたとうとするからです。
ー数の多い方が優位ー
一体、だれが決めたのでしょうか。
多数決で決めるというのは、どちらとも優れた意見でその中から全員で動くために1つにしなければならない時ですよね。
自分が生きたいようにすればいいのです。
多様性が混ざり合う社会はある意味居心地が良い。
私が10か月留学していたフィンランド、そして1か月留学していたアメリカ。
アメリカは人種のるつぼであり、本当に多様です。
フィンランドはそこまで人種は多様とは言いませんが、それでも隣国のスウェーデンやヨーロッパ諸国から色んな人が来ます。そして、文化的にも「他者と比較する」ことをあまり好みません。
『多様な価値観が混ざり合い、その数が増えるとどうなるか』
他者批判が減ります。
優位性とかが無く「それはそれ」として認められるから
そういう世界もあるんだな
という認識で終わるからです。
髪の色が異なってもいい
無理やり大学に行かなくてもいい
人と異なる生き方をしても良い
自分が好きだと思ったものに夢中になればいい
自分がしたいことをしたらいいのです。
本当に好きなことであれば、いずれはそれに目を向けてくれる、支えてくれるようなひとが必ず現れます。
誰だか分からないかもしれませんが、私は、あなたのその「やりたい」に賛同します。
少なくとも私は、多様性を創りたい。
多様性のある暮らしをしたい。
そう思っています。
それは、私も少数派として、そういう環境で生きてきたからです。
いつかは多様性を認め合える。Forth Place を創りたいと思っています。
いじめにあい、
大学の途中で進路を変えたことをバカにされ、呆れられ、
すぐに就職しなかったことを色々と言われる
そんな経験もしてきました。
留学に行って、色んな人と会って
これまでたくさんの経験をして、
そして、救われました。
そんな世界があってもいいなと思います。
そういった、誰でも好きなことをして、自由で居られる社会を創りたいと思います。
『なぜ、Third Placeではなく、Forth Placeなのか。』
『どんなふうに創っていくのか。』
スターバックスでのアルバイト経験や、この先の状況を踏まえて考えている未来を含めてお話していけたらと思います。
まだまだ具体的には固まっていませんが、
「一緒に、創っていきたいな。」
という方、是非コメントください。
moimoi👋
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