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『昭和史』にみるリーダーの影響

リーダーは、悲観的に準備して、楽観的に実行せよ。
張作霖爆殺事件と統帥権干犯問題が尾を引いたとする『昭和史』の顛末を読むにつけ、
この言葉の意義を深く問いたい。
そして、歴史の if を問うて振り返らなければ、人は学ばず、同じ過ちを犯すのだということを痛感する。
奢れるものは久しからず。これは古今東西、人間社会にあって不変の真理なのだと実感する。

また、多くの場面で、私怨めいた理屈で、物事があらぬ方向へ進んでいくことが伺える。
たとえば、内大臣や元老といった宮中の面々を「君側の奸」として目の敵にする軍部や、
数年前の改革に対し、“復讐”を期し、野村吉三郎の足を引っ張った外務省など、
皇道派の荒木貞夫・真崎甚三郎と、永田鉄山らの統制派がもとをただせば 西(中国) か 北(満洲) かの国家の青写真に関する意見の相違からの争いからだとした説を信じるならば、なんと情けない話だろう。

ただし、現代に生きる我々も、決して過去を “暗愚” として切り捨ててはいけない。
それこそ、現代を生きる我々にとっての「奢り」だろう。
当時の中枢メンバーにも、大変だったろうと同情するところは少なくない。

『昭和史』の随所で、一般民衆の調子の良さや、貧村の窮状を憂いた青年軍人たちの抑制のきかない行動が、外交的努力で丸く収まりかけたところを、それこそ芸術的に連なって、死の舞踏へといざなったことが伺える。
彼らを育てたのは、“大日本帝国”としての価値観を無思考に受け入れることを是認した教育であり、
また、おのが与党になろうと喧伝し、民衆をあおった立憲政友会などの野党であり、
ラジオに負けてなるものかと発行部数を競った新聞各社の、権力への批判性を失った “わかりやすいストーリー” が、
20年以上の時を経てボディブローのように効果を及ぼし、
抑制を失い、節度を失い、自縄自縛の鎖となって破滅という結末に至ったのだ。

平成、令和の政治家やリーダーは、はたして…

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