感想noteがあとから評価されることもある。
最近、noteで10日連続投稿達成以外に嬉しいことがふたつありました。
ひとつは、スキだけに留まらず、初めてサポートを頂き、オススメして頂けたことです。見知らぬ通知が飛んできてビックリしました。
こちらのオーイシマサヨシさんに関する記事。どんな方がサポート&オススメしてくださったのかしらとnoteやTwitterを遡ってみると、がっつりオーイシマサヨシさんを応援されている方でした。自分の文章が誰かの琴線に触れて金銭が動いたかもしれないこともさることながら、ちゃんとオーイシマサヨシさんを応援されている方に応援してもらえる内容になっていたらしいことを客観視できたことがとても嬉しかったです。
もうひとつは、特に面識のない方からTwitterで褒めちぎられたことです。
こちらの劇場版レヴュースタァライトに関する記事。どちらかといえば後編の方がウケがいいようです。前後編に分けたのはこれが唯一です。それなりの熱量を注いでいて、いま読み返しても結構頑張って書いたなと思えます。noteを書いている動機は自己満足的なところが大きいですが、形にして発信している以上は、読んで共感してほしい気持ちがゼロではありません。ビュー数が増えるだけだと賛否のどちらかまではわからず喜びよりも不安が勝ってしまう心配性な私なので、「読みやすい」「好き」「何度も赤べこになった」「素晴らしい考察」という旨の贅沢な詰め合わせをひとつのTweetに込めて直接伝えて頂けたことがとても嬉しかったです。
これらの記事は半年ほど前に書いた感想文。実際に数えてみたわけではないですが、私のnoteの3〜4割くらいはイベントやアニメの感想で成り立っているんじゃないでしょうか。私の記事のビュー数の傾向はだいたい投稿直後にピークを打ってそれっきりなので、この手の感想文は、1週間も経てば、誰かの目に触れることは、ほとんどないだろうと思っていました。今回の件は、そんな中で時間が経っても「誰かが見つけてくれてることもあるのだな」「誰かが拾い上げて評価してくれることもあるのだな」と思わせてくれた出来事でした。カッコよく言うと、私が何となしに垂れ流している感想文も実はひとつひとつが創作物であり、作品なんだな、と。
狙って心を打つ作品を生み出せるわけでもないので、私にできることといえば、その都度その都度ひとつひとつに想いを込めて読みやすく書きあげることくらい。今すぐじゃなくてもいい。いつかふと誰かが見つけて読んでくれたときに、何かしら刺さる感想をより多く残せたらいいなと思いました。
余談
逆にというか当たり前の話ですが、webの海に流す以上、誰かの目に触れる可能性はどうやってもゼロにはならないので、使う言葉には気をつけなければいけないなとも改めて思いました。
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