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「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」を浴びてきた話~レヴューのレビュー(後編)~

劇場版スタァライトの自分の中の整理と感想文です。考察には程遠い。

以下、ネタバレが含まれますので何も知らずにスタァライトされたい方は回れ右してポジションゼロして頂ければと思います。

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前編はこちらです。

後編はここからです。

狩りのレヴュー:ペン:力:刀

大場ななが脚本を手掛けているらしい舞台。切腹する星見純那の背後に介錯するための介助者として大場ななが立っているところから始まります。とんでもねぇな……どうしてこうなった……。あとこれ「かいしゃく」って読むんですね。「かいさく(なぜかへんかんできない)」をしていました。お恥ずかしい。

大場ななはアニメ開始時点で最強の舞台少女と言っても過言ではなく、中ボス的な立ち位置でした。レヴューシーンが描かれないまま第6話のCパートで雲行きが怪しくなり、第7話で時間を繰り返していることが明らかとなり、第8話、第9話と3話分を使って彼女の敗北で決着がつきました。勘違いしてはいけないのは、時間を繰り返しているから強くなったのではなく、強いからトップスタァであり続けることができ、時間を繰り返し続けることができていたということです。実力は文句なし。性格は言葉を選ばずに言えば狂っていると私は思っています。

舞台に実ったたわわな果実
だけどみんな柔らかだから
誰かが守ってあげなくちゃ
99期生
大場なな
私が守るの
ずっと何度でも

これはアニメの彼女の口上です。時間を繰り返していたのは「自分のため」でありながら「みんなのため」でもあると思い込んでいるところに彼女の恐ろしさがあります。弱いみんなじゃどうにもできないから強い私が何とかしなきゃ。「みんなのため」に「みんなのトップスタァになる夢」を壊し続けていたのです。見方によっては無意識のハラスメントと言えなくもありません。基本的には優しいのですが、優しさを行動に移したときの方向性と思い切りが常軌を逸しています。この傾向は皆殺しのレヴューにも見て取れます。得物は長短2本の日本刀の二刀流。これは演者であり脚本家でもある彼女の特性を示唆しているのかもしれません。

一方で星見純那はアニメ開始時点で最弱に近い舞台少女と言っても過言ではなく、チュートリアルボス的な立ち位置でした。第1話、第2話で早々に敗北して以降、メインとなるレヴューはありません。メガネキャラのイメージに違わず、文学好きの勉強家。よく偉人の言葉を引用します。三角定規が服を着て歩いているような存在です。性格は皆殺しのレヴューでマジレスをしてしまうほどに真面目で、個性豊かな人材の宝庫のスタァライトの中ではいちばん一般人の感覚に近い常識人なのではと思います。得物は弓矢。9人の中では唯一の遠距離武器で、単純な近距離の力技では他の舞台少女に勝てないことを示唆しているのかもしれません。

そんな2人が闘います。狂人と常識人の対峙です。

もともと2人はルームメイトで仲も良好です。第9話では、敗北して途方に暮れる大場ななが星見純那に励まされて、子供のように大泣きするシーンもありました。そのシーンで星見純那は偉人の言葉を引用します。大場ななの「他には?」を延々と繰り返す芸人殺しな手法により引き出しの底をついた彼女は立ち上がり、自らの口上を述べます。

人にはさだめの星がある
きら星明け星流れ星
己の星は見えずとも
見上げる私は今日限り
99期生
星見純那
掴んでみせます自分星!

かっこいい。弱いみんなの中でも弱いほうの星見純那がそれでも高みを目指してあがく姿が、強い大場ななにはとてもとても眩しく見えたんだろうなぁと思います。このときは。

それがですよ。舞台を降りてただの進学ですよ。掴むんじゃなかったのかよ自分星。今は今はっていつやるんだよ。「だったら私が終わらせてやるよ」なのか「だったら私が目を覚まさせてやるよ」なのかは未だによくわかっていませんが、とにかく大場なな直々に星見純那の今に一石を投じたのがこの狩りのレヴューになります。がおー。

何やかんやあって星見純那は偉人の言葉を引用しながら応戦しますが、他人の言葉では大場ななに届きません。弓矢の宝石を砕かれ武器を失い、至近距離で写真を撮られて煽られまくる星見純那。

あーあ、泣いちゃった

ここが大場ななのめんどくさいところで、ここまで追い詰めておきながら自分で肩掛けの留め具を断つことはしません。口上で「君、死にたもうことなかれ(死んでくれるな)」と「君に美しい最期を」を並列させている時点でちょっとおかしいんですよね。死んでほしくないから死んでくれ、と。醜態晒して殺されるくらいならここで美しく自ら命を断て、と。行儀悪く蹴って滑らせた三方の上には大場ななの刀が1本。ふたたび切腹を求められます。

背中を見せてその場を去ろうとする大場ななに吹っ切れて星見純那の覚醒です。差し出された刀の柄尻を先に砕かれた宝石に叩きつけ、自らの武器とします。

99代生徒会長
星見純那
殺してみせろよ大場なな!!

この、お行儀の悪さ、最高かよ……! シビれました。観劇後の感想メモのひとつ目がこれでした。超お気に入りです。ここで一気に形勢逆転。「私の刀、返してよ」は申し訳ないけれど笑ってしまいました。自分で蹴り渡しておいて何を今さら。それだけ大場ななにとって意外な行動だったのかもしれません(ということはやっぱり「だったら私が終わらせてやるよ」の側面が強いのかなぁ)。遠距離武器の星見純那が近距離武器で近距離最強の大場ななに迫ります。片や弓矢を奪われ、片や二刀流を奪われ、不完全で不器用なぶつかり合い。最終的に弾け飛んだのは大場ななの留め具でした。ポジションゼロのようなT字路で背中を向けてそれぞれの方向に歩みを進める二人。遠く大場ななのすすり泣きを聞いた星見純那が一言。

あーあ、泣いちゃった

最高かよ……! 同じ台詞を違う場面で、違う力関係で放って回収するのが大好物です。マジレス星見純那がこの洒落た返しをすることは、彼女が「舞台少女として蘇った」ことを示唆しているように思いました。このレヴューを経て、星見純那はアメリカに留学を、大場ななはイギリスに留学を決めたようです。序盤に進路を明示していたメンバーの中で大きく進路を変えた二人。星見純那だけではなく大場ななも進路を変えているところがポイントで、皆殺しのレヴューは人数だけ見ると大場ななと他の5人のぶつかり合いでしたが、同時に舞台に立つか裏方に回るか進路を迷っている大場なな自身もあのとき大場ななが殺していたんですね。狩りのレヴューは大場ななが準備した舞台で星見純那と大場ななの双方が救われるためのレヴューでした(ということはやっぱり「だったら私が目を覚まさせてやるよ」の側面が強いのかなぁ)。

本作の中でいちばん好きなレヴューはこれですね。自分を解放して本能を色濃く体現しているのが大場ななであり、自分を抑制して理性を色濃く体現しているのが星見純那だとすると、このレヴュー自体が人間の日々の葛藤のようで、葛藤の先に自らの道を見つけて進むあたりに人生を感じたりします。

魂のレヴュー:美しき人 或いは其れは

見たかった頂上決戦がここに! 99期の主席と次席の戦いです。これまでのレヴューに比べると捻じれた強い執着のようなものはあまり感じられず、ただただ美しい作画や演出に酔いしれて溺れていればいい時間でした。ああ美しい。

天堂真矢は“実は”強キャラだった大場ななを除けば、表向きは99期でナンバーワンの舞台少女で、皆殺しのレヴューで唯一肩掛けを落とされなかったことからも舞台少女としての自覚の高さが伺えます。西條クロディーヌはそんな彼女を追う存在。ここでアニメ版を振り返ってみると、第10話の運命のレヴューで愛城華恋&神楽ひかり対天堂真矢&西條クロディーヌというタッグマッチがあっただけで、西條クロディーヌにメインでスポットが当てられたタイマンレヴューはありませんでした。これがお初。

構造上は劇中劇となっており、ゲーテの戯曲である「ファウスト」をモチーフとした何かを演じていると思われます。「ファウスト」に関する知識や教養があればより深く考察できる気がしますが、あまり知らないのでこの点、ご容赦ください。知識や教養が創作にとって大切であることに大人になってから気がつきました。漫画やアニメなどが好きな子供に「勉強って何のためにするの?」と聞かれたら「将来、好きなものに対して周りより深い萌え語りをするためだよ!」と答えましょう。きっと勉強してくれます。

このレヴュー、結局のところ、ただただ西條クロディーヌと天堂真矢が告白合戦をしていただけのように思いますが、しいて言えば「天堂真矢とは一体ナニモノなのか」がテーマのひとつにあったような気がします。過去にある役者さんについてのnoteを書きました。ある役者さんが役になりきられているあまり、私が役者さん本人を掴み切れていなかったという話です。天堂真矢もまた、舞台少女としてあらゆるものを完璧に演じ切ることができるため、そこに天堂真矢は存在していなかったのかもしれません。曰く神の器。そこに西條クロディーヌが切り込みます。

西條クロディーヌ
「あんた今までで一番可愛いわ」
天堂真矢
「私はいつだって可愛い!」

剣を交える中で天堂真矢が素を出したと思われる象徴的なやり取りです(これすら演技であれば末恐ろしい……)。台詞の語り手を添えないと誤植と思われるのではと心配するほど、にわかには天堂真矢の台詞と思えない一言で、可愛すぎて「どうしたどうした?」と微笑ましく見ていました。皆殺しのレヴューでは他の99期生が舞台にあがりきれずに素を曝け出している中、唯一素を出さなかった彼女。一方、魂のレヴューではそんな彼女が舞台の上であるにも関わらず、素を出してしまうわけです。それを引き出したのが他の誰でもない西條クロディーヌというのがね、いいんですよ。いい。

西條クロディーヌはある意味で天堂真矢に絶対的な信頼を置いており、自身の成長のための越える壁として必要な存在であると確信している部分があります。運命のレヴューのタッグマッチで敗北したときの「(負けたのは私であって)天堂真矢は負けてない!」という台詞が印象的で、これは「こんなところで天堂真矢が負けるはずがない」と「天堂真矢を負かすのは他の誰でもない私だ」を内包していると理解しています。

天堂真矢にとって西條クロディーヌはどんな存在だったのでしょう。タッグマッチで相方に選んでいること、その他諸々のやり取りから一目置いているのは確かで、いつどこでかはわからないけど、舞台上で自身が負けることがあればその相手は彼女だろうくらいは思っていそうです。

互いにアニメ版の口上に返す形の口上を織り交ぜながらやったりやり返したりを繰り返し、西條クロディーヌがついに天堂真矢に一矢報いるのがこの魂のレヴュー。最後に落下しながら天堂真矢が額縁越しに見る西條クロディーヌが本当に美しかったです。最後? いえいえ。

天堂真矢
「1回勝負と、誰が決めましたか?」

追うものと追われるものの輪舞はこれからも続きそうです。

天堂真矢役の富田麻帆さんのいわゆる歌劇的な歌い方が大好きです。力強さがありながらも尖った感じがないので高音の伸びが聞いていて心地いいんですよね。西條クロディーヌ役の相羽あいなさんと歌う今回のレヴュー曲である「美しき人 或いは其れは」でもその歌唱力は遺憾なく発揮されています。彼女の歌声だからこそ天堂真矢を、この素晴らしき頂上決戦を演出することができているのだと私は思っています。

スーパー スタァ スペクタクル

本作の主軸でありながら、パズルのピースが全編に渡って飛び散っている(合間合間にワイルドスクリーーーンバロックが差し込まれる)ため最も解釈が難解な愛城華恋と神楽ひかりの物語。

アニメ版がどんな話だったのかといえば、一度レヴューで死んだ(きらめきを失った)神楽ひかりが愛城華恋をレヴューで殺させないために自らを犠牲にするも愛城華恋に救われる物語で、念願だった「二人のスタァライト」を実現することができました。じゃあそのあと、愛城華恋は何を目標に舞台にあがればいいのでしょう。劇場版はそんな話です。神楽ひかりの自主退学(眩し過ぎる愛城華恋からの逃亡)も重なって、すっかりモチベーションを失ってしまった愛城華恋。もしかすると物語終盤まで自身がモチベーションを失っていることを自認できていなかったかもしれません。

劇場版をみて私の愛城華恋に関する印象は大きく変わりました。アニメ版を見たときは彼女を「幼少期のひかりとの約束を守るために聖翔音楽学園で舞台を学ぶ実力の差分を根性で埋め合わせるトラブルメイカーの天才肌」だと思っていました。しかし劇場版の回想を見ていると、例えばクラスメイト(仮)とファーストフード店で談笑している途中で稽古の時間になってひとり抜け出していたり、実際は「幼少期のひかりとの約束を守るためなら青春を捨てても構わない努力家」だったことが伺えます。「一方的に手紙を送るだけ」という約束から、神楽ひかりが海の向こうで何をしているのか知らぬまま、愚直に信じて「二人のスタァライト」に向けて舞台の稽古に励んでいたわけですから、その意志の強さは計り知れません。

それだけに全てを賭けて挑戦して成し遂げたあと、残渣として何が残るのかを想像するとゾッとします。良いのか悪いのか私自身はそこまで全身全霊を賭して挑んだことがないので想像でしかないのですが、「もう死んでもいい」とさえ思うんじゃないでしょうか。実際のところ、愛城華恋は神楽ひかりと対峙したとき、事切れてしまいます。ここからはもうなんかよくわからんけどマッドマックスな感じでアタシ再生産! 文章で説明するのも野暮なとんでも演出なので是非その目で確かめてください。

ひかりに負けたくない

これは復活した愛城華恋の台詞です。「二人でスタァライトしたい」が「ひとりの舞台少女、愛城華恋として、ひとりの舞台少女、神楽ひかりと戦いたい」に変わった瞬間です。愛城華恋が神楽ひかりに対して、天堂真矢と西條クロディーヌのような関係性を望んだ瞬間です。花柳香子と石動双葉のように共依存を断ち切った瞬間です。言われてみればこれまで愛城華恋が神楽ひかりと好戦的に対峙したことはありませんでした。目指すはひとりのトップスタァ。進路希望を白紙で提出していた愛城華恋が、再び舞台に立つ意味を見出し、何かのオーディションを受けるシーンで劇場版は幕を閉じます。めでたしめでたし。

回想は基本的に愛城華恋サイドが描かれていました。神楽ひかりサイドも気になります。私が知らないだけでそういうスピンオフもあるのでしょうか? まさか軽い気持ちで舞台鑑賞に誘った内気な少女が舞台に目覚めて人生のレールが切り替わってしまうとは思ってもいなかったことでしょう。しかも神楽ひかりの幻影を見つめてメキメキと実力を発揮していく様が、手紙で一方的に突きつけられるわけです。「よしよし彼女も頑張ってるな」では済まない恐怖に近い感覚もあったのではないでしょうか。このままでは愛城華恋と並べない。と思ったかどうかは定かではないですが、アニメ版に繋がるのであれば何かしらの動機で海外でトップスタァを目指してレヴューに挑戦し、敗北し、きらめきを失っています。失っていなければ、レヴューの真実を知ることもなく、愛城華恋を助けるために聖翔音楽学園に転校することもなく、そのまま距離を置いていた世界線もあったのかもしれません。舞台の世界に愛城華恋を巻き込んでしまった罪と罰を背負った神楽ひかりの青春もまた、波瀾万丈だったはずです。

神楽ひかりは神楽ひかりで露崎まひるに発破をかけられ、愛城華恋と対峙したことで救われたんですかね。彼女の進路だけよくわかっていません。愛城華恋を狂わせ、愛城華恋から逃げ去り、愛城華恋に立ちはだかる神楽ひかり。彼女もまた不器用でわがままな舞台少女です。「九九組でもうひとつ作品つくってください」と言われたら彼女にスポットを当てると面白いことになるのではと思っています。

まとめ

素晴らしい作品でした。情報量が多すぎて1回観ただけではわからん! と言いましたが、改めて振り返ってみると、情報量が多すぎるのは映像演出がすごすぎるだけで、レヴュー毎に展開を整理してみると、それぞれ因縁の相手と大喧嘩してスッキリして覚悟を決めてそれぞれの進路を進むという比較的シンプルなストーリーであることがわかります。ストーリーがシンプルであっても、構成と演出次第で大作になるという良い例です。あとはブレないキャラ設定。展開がぶっ飛んでいて「いやいやどうしてそうなった!?」という驚きはあっても、キャラの心情に寄り添ったときに違和感はないんですよね。そこがすごい。物語に合わせてキャラクターを嵌め込む作り方ではなく、キャラクターに合わせて物語を嵌め込んで作られたんだろうなぁと思いました。また、それがやりやすい物理法則を無視しても問題ないことが約束された構成になっています。うまい。うますぎる。もう1度観たい! もう1度スタァライトを浴びたい!

公開終了近くに観たので残念ながら何度もリピートすることはできず。しかしなんとBlu-rayが出るそうです。久々に先行申し込み券に関係なく「欲しい」と思いました。買う。時勢が落ち着いていたら、仲間と好きポイントを語り合いながら観たい作品です。できれば大きな画面で。ワイ(ル)ドなスクリーーーンで。

余談
途中で裏方にスポットの当たるシーンがわりと長尺で描かれていました。そのシーンも気に入っています。特に創作している人には刺さるんじゃないですかね。最高だと思って完成させた作品の上をいくにはどうしたらいいのか。理解して支えてくれる仲間がいるっていいよね。アニメ版で完結させたのに劇場版を作らねばならないスタッフ陣の苦悩がメタ的に表現されていたような気がしました。

頂いたサポートは、美味しいものを経て、私の血となり肉となる。