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ゴムは戻るか

 上映会と対談も終わって二日ほど刺激が何も欲しくなかった。
目覚めの緊張感は薄らいだものの、目覚めているのか寝ているのか、遠くから帰ってきた感じもない普通の朝。そうだ、こうやって寝坊をしていたこともあったのだなと、懐かしい感じで布団に潜る。

 あれほど、毎朝せっせと起きていたが、大手を振って寝坊しても良い気になった。まだ展覧会は会期中で、遠方でなかったら、できるだけ会場に居てたいところだ。最終週には、もう一度自分の作品を見ておかなければならない。展覧会は、自分の作品を見る貴重な機会でもある。作ってからしばらく経って、どう見えるのか覚えておかなければならない。

 制作と展覧会の作業は、似て非なる部分も多い。その両方をある程度同時に進めていかなければならないのが、企画展の制作になる。一昨年前の個展の後に、コロナで延期になっていた兵庫県立美術館「関西の80年代」展の打ち合わせが始まる。同じく延期になっていた埼玉県立美術館の「桃源郷通行許可証」展の打ち合わせも始まった。

 「関西の80年代」展は、当時の作品が姿形を残していないので、いかに記録物、素材、スケッチブックに見られるドローイングなどの残滓を構成するか。倉庫の粗探しから始まり兵庫県美へ持ち込んで候補になるものを構成することを繰り返し、企画担当の学芸員さんと共同作業で展示になんとか漕ぎ着けたのが6月だった。
 それと別の頭で取り組まないといけなかったのが、「桃源郷通行許可証」展だった。この展覧会は、美術館のコレクションと一緒にインスタレーションを試みる企画であり、展覧会タイトルは私の作品の一部分の言葉を使用している。展覧会全体に対しての関わりが、かなり深くならざるを得ない企画になっていた。学芸員さんとのせめぎ合いが、長期間続いた。展示の他に映像全作品上映会に対談イベントを加えると、もう一つ個展を行なうくらいの準備が必要だった。それに合わせてMEMギャラリーでは、今年の1月から、新旧のドローイングを中心とした個展を開催している。

 秋は、三すくみの制作状態がしばらく続き、三つの親しい死が次から次へと起こった。作品タイトルの「青蓮丸、西へ」の青蓮丸は大波に飲まれてしまい、一寸法師のような「どんぶらこ」どころではなかった。舟にしがみつき、「ひばり山」の中将姫にあやかって曼荼羅を訪ねて木漏れ日のさす早朝の山寺への道を登った。

 ああ、気分転換に見ている韓ドラ時代劇もかなりの数になり、役者さんの顔を覚えてしまった。今うっかり見ているのが長い話で、最初は素直な性格の人間がダメになっていったり、その逆転が起こったり。最終的にハッピーエンドではないような雰囲気がみなぎっている。階級制度をテーマにした厳しい時代劇の描写は、どの作品にも通じている。日本ではここまで作ることはできないだろうなと思う。更新前に見終わってしばらくは西洋圏の違う国へ行こう。

©松井智惠              2023年1月20日金曜日筆

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