感想:映画『スウィート17モンスター』 どっちを向いても社交の世界

【製作:アメリカ合衆国 2016年公開(日本公開:2017年)】

17歳のネイディーンは、ネガティブで人付き合いのあまり得意でない高校生。
社交的で器用な兄ダリアンと幼少期から比べられ、コンプレックスを抱える彼女は、恋愛にも興味があるものの経験はない。しかし、なんでも話せて気の合う親友のクリスタの存在により、彼女なりに学校生活を楽しく過ごすことができていた。
ところが、そのクリスタと大嫌いなダリアンが恋愛関係になり、ネイディーンはショックを受ける。
ふたりを受け入れられず、クリスタと距離を置いたことで、彼女のほかに友達のいないネイディーンは学校でひとりになってしまう。


アメリカ合衆国でつくられた作品を観ていると、社交的であることと、大人になり自立することが積極的に肯定・推奨されている印象を受ける。
主人公ネイディーンはこの二つの目標を達成できず苦しむ。彼女が精神的に少し大人になるまでを描いたのが本作だ。

プロムやパーティーといった社交の場がしばしば設けられる米国の学校生活において、そういった場所でうまく話せないことは重篤なコンプレックスとなりうる。スマホやPCを開いても、Facebook上で社交は繰り広げられている。
付き合いたてのダリアンとクリスタにパーティーに連れて行かれたネイディーンが、周りとうまく話せず孤立するシーンでは、社交が得意でないことがどれほどみじめかが強調される。

同様に、自動車の免許を持っているかどうかもステータスとなる。試験に落ちて運転ができないネイディーンは、学校への送迎や遊びへの移動を周囲に頼る。
米国で自動車を運転できないことは、人生を自分でハンドリングできていないことを象徴することに加え、物理的に行動範囲が狭まる弊害もある。
ネイディーンの孤独感がピークに達し、自動車を自ら運転するシーンで物語が大きく動き、ラストシーンで彼女は自転車を漕いで目的地へ向かうように、「運転」が本作では象徴的な意味合いを持つ。

ネイディーンは内弁慶で幼稚なところがあり、人を外見や属性で判断したり、うまくいかないと他責的になったり、経験がなく準備もできていないのにやたら性的な事柄について口にするなど、その振る舞いには直すべきところが多い(謝ることはできるし、17歳らしいとも言えるのだが)。
そんな彼女に対して周囲はシビアだ。
ネイディーンは唯一の友達であるクリスタがダリアンと付き合うことが気に入らず、彼女に「ダリアンと私のどちらかを選んで」と迫る。ネイディーンにクリスタを縛る権利はないため、これはわがままな発言といえる。クリスタは「それはできない」と返し、なおも不満を抱えるネイディーンと距離を置き、遠慮することなくダリアンと交際を続ける。
ダリアンも、ネイディーンの立場から見れば器用な「目の上のたんこぶ」だが、彼は浮き沈みの激しい母親のメンターを務めながら家事を行っており、負担の大きい人物でもある(同じ「世話焼き」としてクリスタと馬が合ったという側面もある)。ダリアンは卑屈で自己管理の苦手なネイディーンに対して終始厳しく、「自分が悪い」と折れることはない。
ネイディーンの学校での数少ない話し相手である歴史教師のブルーナーも同様で、彼女の話を聞きはするものの、慰めることはしない。
ネイディーンが自分を省みて素直になるべきである、という姿勢は終始一貫しており、自己憐憫や他者への依存に対して極めて厳しく、その点で誠実といえる作品だった。
似たような構図で物語が進む『シュガーラッシュ:オンライン』も思い出した(後述するアーウィンの「肥大した自意識と臆病な自分の戦い」というイラストも同作に通ずるものがあった)
社会に出て多くの人と関わり、他者を束縛せずその意思を尊重するという「健全な状態」の推奨が若者に向けた作品で頻出するということは、それだけ米国においてこの価値観が徹底していることを示していると感じた。

ただ、他者との交際やスクールカーストから逃れられない社会に生きていることに加え、母親が安易に兄妹を比べ、軽率な言葉を投げかける環境で生じたネイディーンのコンプレックスを、彼女が未熟であることに帰してしまうのはどうかとも思った。
確かにネイディーンの振る舞いは横暴なのだが、その背景には17年積み重ねてきた経験がある。
ましてクリスタはネイディーンがどういう理由で兄を嫌い、何に悩んでいるのか側で見てきたにもかかわらず、ダリアンと交際をする上でその点へのフォローがほぼないのは気になった。
特にネイディーンが人付き合いが苦手なのを知りながらパーティーに誘う、彼女が交際を嫌がっている中兄妹の自宅を訪れてダリアンの部屋で過ごすなどの行動は、ネイディーンにふたりの交際をとやかく言う権利がないにせよ、さすがにもう少し気を遣ってもいいのでは…と思った(クリスタも17歳で、人気者との初めての交際に舞い上がっているのだろうとは思うが……)
クリスタは切り換えのとても上手な人物であると解釈したものの、その心の動きはよくわからなかった。

ネイディーンに好意を寄せるアーウィンという同級生がおり、彼とのコミュニケーションを通して彼女は外の世界に出ていくことになるのだが、なぜアーウィンがネイディーンに惹かれるのかは特に明示されない。
卑屈な姿勢を改めるのとは別に、ネイディーンには社交を軸とした価値観とは別の角度からの自己肯定が必要なように感じたので、もう少し彼女の長所が見えてもよかったのではと感じた。
なお、アーウィンは漫画や映画を好み自分でも作品をつくる文化系で、ダリアンを介して描かれる華やかなグループとは別のコミュニティの中にいるが、そうしたグループでも同様に「社交」は行われている。ネイディーンの悩みがスクールカーストとは別の位相にあることがここからわかる。

ネイディーンを演じるヘイリー・スタインフェルドの演技が印象的で、呆気に取られた悲しげな表情やパーティーで孤立していくときの笑顔が貼りつくような表情、他責的になるときのいじわるな顔など、役の心情を緻密に反映していたと思う。(特にダリアンと口喧嘩して彼を茶化すときの顔が生々しくて良かった)
また、ハイティーンという設定のアーウィン役のヘイデン・セットーが1985年生まれで、撮影時に30歳であったことに驚いた。
青春ものの洋画では俳優が役より年上で、既に学生ではない例を見かけることがある(本作のメインキャストで最も年少のスタインフェルドが撮影当時19歳)。
性的なシーンやジョークがあることに加え、大人の目線で学生を俯瞰あるいは啓蒙する作品だからこそ、現在進行形の学生ではなく、そこから距離を置いた「大人」を起用するのだろうかと思った。その点も、米国の価値観において大人と子どもの線引きが明確であることと関連しているのかもしれない。

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