感想:ドキュメンタリー『RBG 最強の85才』 メディアミックスと不変の姿勢
【製作:アメリカ合衆国 2018年公開(日本公開:2019年)】
女性として2人目の合衆国最高裁判事であり、特にジェンダー平等を争点とした裁判で多大な功績を残したルース・ベイダー・ギンズバーグ(2020年没)。
彼女の生い立ちとキャリア、そして2010年代後半に若者の間でポップアイコンとして人気を集め、80代を迎えてもなお現役判事として活躍を続ける姿を描くドキュメンタリー。
2010年代、ルース・ベイダー・ギンズバーグはポップアイコンとして人気を博した。
彼女を取り上げた書籍"Notorious RBG"がヒットし、テレビではコメディアンが物真似をし、肖像をプリントしたグッズが販売され、インターネットではスーパーマンやワンダーウーマンといったアメコミヒーローとのコラージュが出回る。
彼女のキャリア初期を取り上げた映画『ビリーブ 未来への大逆転』と本作もまた、こうしたムーブメントに連なるものである。
『ビリーブ』はルースのキャリアやバイタリティを示しながらも、全体の構成としては「あらゆる女性のエンパワメント」に焦点を置いた作品だったが、本作ではルースの功績や人物像に重点が置かれる。
その道程や現在の活躍がユーモアを交えて描かれる一方、彼女の活動のベースは時代を問わず不変であることが示され、映像としても緩急の効いた作品だった。
本作では、ルースのキャリアが写真-音声-新聞-映像-インターネットといった様々なメディアと、本人ならびに関係者へのインタビューを通じて示される。
様々な素材がコラージュされる一方、彼女が関わった判例を紹介するシークエンスは常に同じ演出が用いられる(被告-原告と争点の要約を示す映像に続いて、実際の裁判での音声とそのテロップが展開される)
ルースは最高裁判事としてクリントン-ブッシュ-オバマ-トランプと、大統領の交替に伴う潮流の変化の中に身を置き、自分自身がアイコンとしてメディアミックスされることにも好意的である。一方、法律家としての姿勢は原告代理人となった頃から常に憲法で保障される「法の下の平等」に基づいている。その一貫性こそが彼女の強みであることが、判例紹介の演出によって示される。
ルースは1970年代、空軍で女性が住宅手当を付与されない、シングルファザーには行政からの保障がないといった、性差を理由とした行政・企業の不平等な扱いに関する訴訟に取り組み、ひとつひとつ前例を積み重ねることで、法におけるジェンダー不平等の変革を推し進めていった。
当初は個人が雇用主などを相手どっていた判例が、「合衆国 対 バージニア州」などの大規模なものに変わっていき、彼女の実績が社会に如実に変化をもたらしたことがわかる。
感情的にならず、的確な構成の主意書・答弁で勝訴へと導くルースの手法や、そのストイックさは本作でたびたび強調される。
それは、冒頭で抜粋される彼女を揶揄する音声(いずれも男性による「魔女」や「司法への冒涜」といった発言)と対置され、「女性は情緒的である」というステレオタイプや、パフォーマンス的な劇場型裁判への批判にもなっている。
そうしたスタイルをルースが貫いてきたことを示した上で、彼女が大統領候補だったドナルド・トランプに対して批判的な発言を行い、最高裁判事の立場を侵犯したとして謝罪した一件が取り上げられる。ルースが感情的になるほどに、トランプの政策や言動は憲法の理念に反するものであり、だからこそ彼女が求められていると強調する構成だ。
女性を多く含む多様な人種の学生に向かってルースがスピーチを行い、多くの若者が彼女のファンだと表明する現在の状況は、ルース自身が築き上げてきたものである。この映像の運び方にもカタルシスがあった。
パートナー・マーティンへの言及も印象的だった。『ビリーブ』で描かれた、料理が彼の領分だった等のエピソードに加え、ビル・クリントンにルースを最高裁判事に推薦するにあたりマーティンの「内助の功」があったなど、カップルにおけるステレオタイプな役割の多くが逆転している。それでも前向きで幸福な関係が問題なく築けることの例として説得力があった。
また、保守派の共和党判事であるアントニン・スカリアとの友情についても触れられている。
同性婚・中絶の不認可、銃所有の擁護などルースとは真逆の判決傾向を持つスカリアだが、プライベートではルースとオペラを観劇し、旅行に行く仲だった。
ルースが「自分は公私を分けるのが上手い」と発言する一方、彼女と共同してジェンダー平等に取り組んだ法律家が「私は右翼とは仲良くできない」と述べる場面がある。
最高裁判事は各人の党派性に大きく左右されながらもひとつのチームであるという相反する性質がある。ルースはそのバランスを汲み、政治的には対立していても人間として信頼関係を築くことは可能だと示す。
それぞれの判事としての姿勢は一貫していることから、対話や融和の可能性とはズレてしまうものの、それぞれの主張が硬直化して分断を招いている現在の米国の風潮への警鐘であるとも受け取れた(本ドキュメンタリーにも登場する次期大統領ジョー・バイデンが、共和党議員とも交流のある、コミュニケーションに長けた人物であることとも通じているように思う)
なお、ポップアイコンとしてのルースを特徴づけるのは髪型・眼鏡・付け襟であるが、このうち付け襟は、男性向けに作られた法服(ネクタイを見せるため襟ぐりが広い)を着こなすために導入したものだと説明され、記号化された襟にも背景があることがわかる。素材やデザインが異なり、時と場合によって替えている点もお洒落であり、ひとつのメッセージとして捉えうるものだった
(また、付け襟は女性初の最高裁判事である共和党選出のサンドラ・オコナーと相談して導入したもので、ここでも判事内のコミュニケーションが窺える)
合衆国憲法の「法の下の平等」を基礎に、論理的に粘り強く社会を変えていくルースの姿は非常に力強かった。
また、これと関連して、米国で憲法に基づいた社会変革が起こり、トランプ政権のような極端な姿勢に対し、メディアや市民によってはっきりと是正する動きが見えるのは、建国の理念として憲法が明確に存在するからではとも思った。
訴訟大国である点や歴史が浅い点を揶揄されることもある米国だが、憲法制定から始まった国だからこそ憲法を尊ぶことが共通認識として存在する強みがあるのではないかと感じる。日本との比較の点でも考えさせられる作品だった。
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