恐怖症をめぐるシャチョーとの対話。
月曜日ですね。
締め切りに間に合わなかったらどうしようという恐怖をかかえながら、仕事に追われてしまうフクシャチョーです。
この新しい技術、使いこなせなかったらどうしよう、
このアーキテクチャでうまく行かなかったらどうしよう、果てしない恐怖を掘り返しては、不毛なるココロの浪費をしてしまう性質があります。
そのほかにも、高所恐怖症で、高い所は本当にダメで、リフトを止めてしまったり、
閉所恐怖症で、MRIを受けるのに鎮静剤もらったり、ひどい時は映画館も苦手で、満員電車にも、人の多いエレベーターにも乗れず、
スピード恐怖症で、車で高速走る時は脂汗をかき、緊張しっぱなしで、
恐怖症だらけのそんなこんなで、日常もかなり苦労してたりします。
恐怖を捨てたい。
何にも恐怖を感じなかったら、こんなに生きやすいことはないのではないだろうか??
恐怖がなければ全て解決するのに!!!
だけど、シャチョーは
「恐怖は、必要なモノなんですよ。」と言うのです。
「この崖の先っちょにいくと、崩れるかもしれない、この池はもっと深いのかもしれない、そういう恐怖があるから、そこに行かない、また、大丈夫かどうか確かめることをして、なるべくリスクを回避しますよね。」
「恐怖は自分の身を守ってるのですよ。」
だけど、フクシャチョーは、時にパニックに陥って、手がつけられません。
飛行機恐怖症でもあり、去年の台湾からの離陸時にパニックになり、泣き叫んでしまい、大変周りに迷惑をかけてしまいました。
何かその時にすごく揺れたのでしょうか?危険が迫ってたのでしょうか?
全くそんなことはなく、ごくごく普通の離陸だったのに、自分の中で、過度に恐怖心を煽ってしまい、それに反応して、パニックになってしまったのです。
「恐怖に集中してはいけません。遠くから見るのです」
「乱気流などにまきこまれると、僕も怖いのです。もちろん、怖いです。怖いからこそ、周りを眺めたりして、意識を逸らすのです。あー、みんな気持ち悪そうだなとか、なんでもいいから意識を自分の恐怖心にいかないようにするのです」
「どうやったらできるんですか?」
「意識をコントロールするように、自分を訓練するのです。自分の意識で治していくのが大事です」
これもシャチョーに言われたのですが、とにかく人は放っておくと、悲観的に流れてしまう生き物なのです。
それは、生存本能的に正しいのかもですが、何かに挑戦したり、新しい経験に飛び込もうとするときには、足かせになってしまいます。
わたしの異常なまでの恐怖症は治るのでしょうか?ではなく、絶対に治してみせる、で今は向き合ってます。
意識をコントロールする訓練として、先月から瞑想をはじめました。
朝と夜と15分ぐらいずつ。
雑念の塊を追い払って、今、ココに意識を集中させるコントロールの難しさを感じています。
年単位でかかりそうですが、良くなる方向を向いていきましょう。
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