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義父が亡くなった


義父を映すことで、
自分の観念によるネガティブな
感情が炙り出される。
義父が病気になってからは、
自分ではないエネルギーが、
私の統合に便乗して一緒に
昇華したがっていた。

自分以外の感情だと区別がつく
ようになってからは、
コントロールできない感情を
自分に向けて責め立てることは
無くなった。
自分ではないのだから、
コントロールなどできるはず
もない。

集合意識も、
自分自身から湧き上がる
ネガティブなエネルギーも、
全ては源からのエネルギー。

自分のこととして感情を味わい、
慰め癒す。
方法は合っている思う。
それでも手放せない感情が纏わり
ついていた。
かなりシンドイ。

義父が亡くなる数ヶ月前に、
多額のお金を要求してきた。
自分が兄にもらった、1000万
以上のお金を2年で使い切った。
自分の余生と、娘にお金を
残すために、私達のお金から
600万を俺に渡せということだ。

死が差し迫ったこの期に及んで、
自分の我欲を満たすことで
頭がいっぱいだったらしい。

夫は、義父に激昂しながらも
「どうせ話しても無駄だから、
お金を渡してやれ」と私に言った。

夫の家族はずっとそうだった。
私の常識ではあり得ないことを、
さも当たり前のように言い放つ。
その都度、断る理由や、私達の
現状を伝えても、耳を貸さない。
お金を始めとするエネルギーを
奪い、それを義姉に流す。
本当に理不尽だった。

義姉は50歳を過ぎても、
自分の給料で足りなくなれば
80歳を超えた親に、お金を
要求していた。
義母は怒りで抵抗しながらも、
結局いつも、義姉の言う通りに
お金を送っていた。
私には理解しがたくとも、
人のお金の流れなどどうでも
良いと思っていた。

問題だったのは、尻拭いが
私達だったことだ。
低いエネルギーに巻き込まれ
私達から搾取される。
悩みもがき続けた。

今、終わってみて振り返れば、
貪欲で傲慢な役者も、従う役者も
それぞれの意識が作り出している
に過ぎない。
私自身も被害者役を演じてきた
わけだ。

「600万出せ」という突然やって
きたシナリオは、義父母からの
コントロール、支配のエネルギー
を断ち切る最後のチャンスだった。
義父と私の大バトルだった。

全身全霊で抵抗した。
現状や過去の話もした。
知らぬ存ぜぬで、義母に悪役を
押し付け、善人ぶっていることも、
見抜いていると伝えた。

強気で支配できないとわかると、
老病憐れむ姿で、同情を惹きつけ
ようとした。
夫はそれに弱い。
私は従わずに突っぱねた。

数日後、義父が謝ってきた。
「自分は恥ずかしい生き方を
していた。
本当に内情を知らなかった。
あなたが大変な思いで、
やり繰りしていることも
気付かなかった。
謝らなきゃ、恥ずかしくて
あなたに顔向けできない。」
泣きながら詫びていた。

義父の言葉を聞いて、私は子供の
ように声を上げて泣いてしまった。

世代を超えて受け継がれてきた
支配と服従、コントロールという
エネルギー。
それを子供には絶対に継がせない
という思いで生きていた。
長くて苦しい経験を、学びに
してきた。

義父に何かを気付かせたこと。
長い連鎖の方向性を、自分の
力で変えたことが嬉しかったし、
心底安堵した。

すごいエネルギーだった。
たった2日で4kg減った。
身体はボロボロだった。

夫はこの件に関しても、
私の体調に関しても、
あえて何も言わなかった。
まるで他人事のように、
関わらないようにしているように
見えた。
それもいつものことだと、諦める
自分が切なかった。

この世界では、
相手と立場を交代しながら、
意識の投影を繰り返す。
それが朧気ながら俯瞰できた。

その後も、重い集合意識と共に
統合を続けていた。

義父が入院してからは、
痛みと戦っていた。
「こんなに痛いのに、どうして
死ねないのか?」
我慢強い義父でも耐えがたい
痛みだったようだ。

危篤になり病院から呼ばれた。

義姉は自分の仕事を優先した。
夫にとっては自分の父。
実の子が側に居た方が良いと
思っていた。

病室で私と娘とで静かに
話しながら義父を見守った。
痛みから解放されて、
意識が朦朧とした義父からは、
エゴの重いエネルギーは感じ
られなかった。

とても穏やかな空間だった。
徐々に義父の息の間隔が伸びた。
義父の手に触れながら、
心の中で何度も「ありがとう」
と伝えていた。
ゆっくり静かに息を引き取った。

夫は息子を迎えに行っていた。
それぞれが、
自分の居場所を選択した。
義父が選んだタイミングに
選ばれたのだと思う。

2年前、義父が大手術をした。
手術室から出た義父に、
義姉と私が声をかけた。
翌日、私に電話があった。
「あなたの声で死の淵から生き
返った」と感謝の言葉だった。
義姉の声は聞こえなかった。

蘇らせたのは
映し出す鏡の中の義父を見ながら、
自分の内側を気づくため。

義父のエゴを許さないのは、
私なりの愛情だった。
現実は、自分の意識が反映して
いるだけ。
義父を許さなかったんじゃない。
私は私自身を許せなかったのだ。

義父がエゴを脱ぎ捨てる時、
私も長年の被害者意識のエゴを
脱ぎ捨てる。

義父母と出会ったお陰で
本当に厳しい人生だった。
奥深く多くのことを学ばせて
もらった。

今は、全てが感謝に満ちている。
それを楽しんでいたい。
ありのままの自分をそのまま
受け入れる。
そんな自分を大好きでいたい。

あれ程うるさかった
エゴの思考(お喋り)が消えている。
また、いつか喋り出すのか?

次は義姉だ。
数年後に定年したら帰ると
言っている。
お金やエネルギーを吸い取り、
人を使うことを当たり前だと
疑いもしない。
口先だけの感謝を伝えたら、
恩などすぐに忘れてしまう。
悪意がないからそれを繰り返す。
義父母と全く同じパターンだ。

楽しみではないが、
その時が来たら対処を考えよう。




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