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私は自分を「ゴミ」だと思う。

今回のエッセイは、相手の気分を害してしまうものかもしれない。時に汚い言葉を使ってしまうかもしれないので、読みたくない人はブラウザの戻るボタンを押してもらった方がいいかもしれない。

初めに私は自分自身を頻繁に悪く言ってしまう。
どんな時にそう思うのかというのか。

・失敗をした時
些細な失敗から大きな失敗まで全ての失敗をした時にまず自分を責める。
自分を責めるときの心の台詞「僕はだめだ。」「何をやってもダメだ。」
→今こうやって客観的にみると反省してないな。反省するより自分を守ろうとしている感じがする。ずるい。(確かに自分でもよく最初から守りに入っていることがあるので、とてもずるいと思う。言い訳から入るというか。。よくないね。)

・反省から自分自身を責める。
二行上を見ていただくとわかるかと思うが、「よくないね。」と自分自身を責め始めた。辛い。こんな些細なことで自分自身を責めてしまう。決してかわいそうだね。と言われるために攻めているわけではない。本来これは心の中で行われているので、他人に見られることはない。

例を二つ出したがとても些細な言葉からも自分自身を責め立てる。自分で自分の揚げ足をとる感じだ。

けれどこれが怖いのは他人に発揮される時。

私は自分と関係値が低い人間に対してこのように思うことが多い。
上司のくせにそんなこともできないのか、とか営業のくせに、お客さんも大事にしないのか、とか、店員さんとかに思うことはないのだけれど、会社の人間や仕事で関わった人間に対してはそのように思ってしまうことが多い。だから環境を変えた方がいいんだろうな、とかを思ったりもする。

よくなってほしいと思う人を変えるために労力を使ってもいいと思うが、どうでも良い人にはそんな労力かけたくない。なんなら地獄に堕ちろぐらいに思っていると思う。だから自分自身が変わった方が早いと思ったりもする。実際にそういう場合が多い。

周りに尊敬できる人間が少ないとも思ってしまう。
私は極端な人間でもあるので、「尊敬できる人間」とはほぼ全てが完璧でないといけないと思っている。だから尊敬の域まで行くことが少ない。
じゃあ尊敬できる人間にどうやって出会うかというと、本の中で出会って対話させてもらうことが多い。そのために本を読んでいるとも言えるのか。

自己否定が止まらない。
とりあえず書いてみて客観的にみてみて改めて考えるしかない。

今は駄文しか書けなくっても続けて続けて継続して、永遠に成長するしかない。

これを駄文ではなく、「素敵な文」って言ってくれる人が一人でもいたならば、それは嬉しいことだけれど、そう思われなくっても明日も続ける。

また明日、とりあえず吐き出すことができて少しスッキリした気もするし、
余計にモヤモヤもしている気もする。



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