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この世に生を受けてしまったことへの涙

 こんにちは、Bodayboと申します。みなさんは、なんてことない場面で突然涙が溢れて止まらなくなること、ありますか?私はたまにありますよ。
今日の涙は、なんの涙なのか・・・自己との対話の議事録をつけてみることにしました。

 涙が溢れた初動時の感情としては、怒りでした。それもなんとも言葉に表すことが難しい、滲むような黒い感情・・・かの文豪ならば、この情緒を言葉という結晶に凝固させることが出来るのでしょうか。
 変えることの出来ない過去に対するやり場を失った怒りは無駄でしかない、と勘付くまでにはそう時間も掛からないもので、僕の脳裏は次第に冷たくなっていきます。

 そういえば、初めてこんな涙を流したのは小3の頃でした。
輪廻転生という考えがあるじゃないですか。死んであの世に還った魂が、この世に生き返るアレです。それって、滅茶苦茶めんどくさいと思いませんか?死に対して「永眠」という表現があるにも関わらず、実際には永遠の眠りに就く訳ではないじゃないですか。それなら初めから魂の「生」を受けずに、宇宙の塵としてでも彷徨っている方がマシだよな・・・という結論に至り、号泣した思い出があります。哀しいですね。

 本当にイエスが存在するならば、私のこの世に生を受けてしまった罪をお許し下さい!これは懺悔です。
 皮肉にも、私の誕生日は12月25日なんですよね。その辺の聖職者よりは説得力があるというか、神聖なパワーを私から感じませんか?そんなことないですか、すみません。別に誕生日なんて乱数にすぎませんものね。

 クリスマス生まれあるあるとして、誕生日とクリスマスプレゼントが合わせて一つしか貰えず、ケーキも一つというのはあると思います。なんか、普通に損している気がするんですけど気のせいですかね?
そもそも冬生まれの時点で足の速さが好感度に直結する社会においては不利な立場ですし、5月生まれ辺りが一番得している気がします。

 皆さんの場合は知りませんけれど、私の周りには9月生まれが特に多かったんですよ。それも、仲の良い友達に限って。
9月生まれの子どもは、クリスマスイブの午後9時からクリスマスの午前3時にかけて着床した受精卵である可能性が高いそうです。因みに、私が産声を上げたのがクリスマスの午前二時頃らしいので、性の6時間の真っ最中な訳ですよ。

 つまりですねみなさん、私の周りに9月生まれが集結しているこの事実は、輪廻転生が事実である、とも言い換えられる訳ですよ。私の産声に共鳴した彼らが、導かれるように私の元へと集う訳です。
 私は輪廻転生を否定したのにも関わらず、ただの乱数・偶然にすぎない「誕生日」という自らが背負う十字架に論破されてしまった訳です。これでは、私の人格が壊れるのも時間の問題ですよ?いいですか?

 自己が他人に認識されていなければ、自己は存在しないも同然、という考えがありますよね。要するに、私は現実の肉体では存在していないにも関わらず、誕生日という十字架を背負ってしまったがために、魂では彼らに認識されている訳です。認識どころか、彼らは私の魂に接続し、懺悔を行う為に私をソフトウェアーとして酷使している訳ですよ。はぁ、いい加減疲れたなぁ・・・そりゃ不眠にもなるさ。

 そんな私への誕生日兼クリスマスプレゼントとして、みなさんからのスキ、やお布施、待っていますよ。当日は、人生で初めてのパチンコを、打ってみようかな・・・シンフォギアチャンスってそんなに楽しいんですか?

P.S.私の幼稚園がカトリック系だったので知っているんですけど、イエス様の誕生日は厳密には12月25日ではないという説もあるんですね。あくまで星がまたたきイエス様が生を受けたのが12月25日であって、実際に生まれたのは9月だ、という説です。けれど幼稚園で読み聞かせられた絵本では12月25日に生誕祭が開かれていますし、どうなんでしょうね。僕はせっかくなので12月25日派ですが。

冴えないオタクに幸を