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ありのままの君でいて


どこかのアーティストが歌っていそうなタイトルだ。
なんでそういて欲しいのか、そこでのその人の意図は量りかねるが、
ここ数年、特にここ数ヶ月でその意味をよく考えて、
行動変容までに至っている(完全とは言えないが)ので、
きっと今の時点での(絶対的な正解は無く、変容し得るから)、正しい理解ができていると思っている。


僕たちは大人も子供も須く、他人の「驚き」を楽しむ傾向にある。
篠原 信さんのnoteを見ていて、また自分の経験からしてもそうであるように思う。

人間というものは根源的に好奇心を備えている。
大人になるにつれて、悲しいかなその多くは平らにならされてしまう。
もしくは「驚き」にも似て非なる「褒める」という行為によって、
好奇心ではなく受動的なものに変容していってしまう。要するに褒められないと動かない人間が出来上がる。

「驚き」やリアクションが全くなく、比較に晒されていると見事に受動化が進み、反応や評価が即時的なゲームなどに依存していくような気もする。



それを脱したいとするのであれば、比較をすることなく、その子自身を見てあげること。そしてリアクションを起こすことだ。

私は、子育ての理想的な接し方って、赤ちゃんに対する親のそれだと思う。
赤ちゃんは言葉が通じない。アドバイスしようにもできない。

篠原さんの記事からの引用だが、まさにこの通りだと思う。


赤ちゃんに何を期待するのだろうか。
期待して怒るだろうか。
禁止や制限を設けるのだろうか。
怒ったら赤ちゃんはできるようになるのだろうか。
禁止や制限をして、それをやめるようになるのだろうか。


子供が大きくなるにつれて、他の子との能力比較から期待が生まれてしまうのかもしれない。
もしくは自分の過去との能力比較をして、「こうなってほしい」とか「こうした方がいいのに」という心情からの行動になってしまうのかもしれない。


でも本当に大事なのはそういうことじゃない。
できるできないの能力比較をすることに意味はない。


赤ちゃんの時であれば、その存在だけで価値があると思うはず。
変に期待もしないし、
変にマウントを取ろうとも思わないはず。
赤ちゃんが歩き出して「いや俺なんて走れるよ??」とかいう大人いないでしょ。そんな奴いたら痛いでしょ色々。


この世に存在する上で比べる出来事は必ずついてまわる。
だけどできるできないを比べて差を見るのではなくて、
「君にないものを僕は持っていて、僕にないものを君が持っている」
という事実、ただそれだけ。そこに優劣はない。


だから、できること、できないこと、好きなこと、嫌いなこと
全部ひっくるめてあなたという人間が、僕という人間は愛されていて、
それだけで十分なんだよということ。


写真のアドバイスをいただいて、言われたことでもあるけれど、
「誰かの真似もしないで、感動した瞬間」に生きる、
自分の直感を信じて、ありのままの自分を生きることが
何よりも自分自身の幸せになると思っている。

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