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月の砂漠のかぐや姫 第21話

「おお、阿部殿」

 弱竹(ナヨタケ)姫の後を追いかけてきた大伴も、阿部と弱竹姫の会話に加わりましたが、二人は大伴をではなく、別のところを眺めていました。大伴は、二人が見つめる先に何があるのかと不思議に思い、二人の視線を追いました。そして、苦々しく顔をしかめました。どうやら、大伴も秋田と呼ばれる男を快く思ってはいないようでした。
 三人から投げかけられた視線に気が付いたのか、頭巾をかぶった男は軽く頭を下げました。こちらの方は、頭巾にさえぎられて表情を窺う事はできませんが、その仕草からは、三人に対しての敵意なり悪意なりは感じられませんでした
 秋田に礼を返す代わりに、やれやれだ、とでもいうように軽く頭を横に振ってから、阿部は大伴に語り掛けました。それは、大伴からの、これから始まることへの心配に満ちた眼差しを感じたからでした。

「仕方ないさ、月の巫女を補佐し祭祀をつかさどるあの占い師が、弱竹姫に命の危険が及ぶことはないと言い切ったのだから、それを信じるしかないだろう。そもそも、お前だって、奴の指示に従って、竜の玉を探しに旅立ったのではないか」
「それは、同族の者が次々と失敗をしたために、俺にお鉢が回ってきただけです、阿部殿」
「だが、結果的に、奴の言う通り、祁連山脈を越えた先の青海(セイカイ)に竜が潜んでいて、お前がその竜から奪った竜の玉が、あそこに置かれているのだからな。奴の言うことに信憑性が欠けるとは言えまい」

 阿部は、今度は視線を祭壇に置かれた机に向けました。机の上には、大人のこぶしほどの大きさのごつごつとした岩が、真綿を固めた布を台として置かれていました。朝の光を浴びたその玉は周囲に光を放っていましたが、不思議なことにその光は少しの間も同じ色に留まることはなく、次から次へと、五つの色に変化するのでした。
 阿部の話に出たとおり、この玉は、かつて秋田が貴霜(クシャン)族に探索を指示したものでした。
 その指示とは、「貴霜族の放牧地である祁連山脈北側から祁連高原を超えて山脈の南側に抜けると、青海と呼ばれるとても大きな湖がある。その湖には、祖先が月から地に降りたときに竜となったものが、今も潜んでいるのだ。月の巫女の儀式を行うためには、その竜の首のあたりについている五色に光る玉が必要である。手に入れてまいれ」というものでした。
 その指示を受けて、貴霜族の族長は、壮健な部の者を何人も派遣しましたがいずれも果たせず、とうとう、成人したばかりの大伴に話が回ってきたのでした。何人もの先達が旅立ったまま帰らない探索に出るにあたり、大伴は讃岐の翁に相談を持ち掛け、その助言によって、何とか無事に竜の玉を持ち帰ることができたのでした。

「なればこそですよ、阿部殿。もしも、本当に、もしもですが、弱竹姫に万が一のことでもあれば、あの竜の玉を持ち帰ってきたこの俺が悪いのです」

 阿部も大伴も、大事を前にして自分の責任を逃れたいなどと考えるような男ではありません。「自分の行いが原因となって、大事な弱竹姫に何かがあっては申し訳ない」という心配が、このような形となって表れているのでした。
 ただ、心ならずも、その心配を当事者である弱竹姫の前で露わにしてしまっているのは、やはり、年少ゆえに経験の積み重ねが少なく、相手に気を配る余裕が充分でないということ、そして、なによりも、なぜだかその心配があまりにも現実味を帯びていて、もはや自分の心の内に秘めておくには耐えられなくなってきている、ということなのでした。
 確かに、精悍な遊牧民の成人男子たる二人がここまで不安に感じるということは、やはり、精霊が二人に対して、この儀式で起こる何かを知らせようとしてくれているのかも知れません。
 しかし、そうであればなおのこと、人外の存在である弱竹姫にそれが感じ取れないはずはないのです。では、「自分に何か起こるのでは」という心配を感じるそぶりすら見せていない弱竹姫は、そのような不安など全く感じ取っていないのでしょうか。
 いいえ、弱竹姫が不安を感じ取っていない訳ではなかったのです。ですが、それを面に出すことが、彼女にはできなかったのでした。
 彼女の中のすべての感覚が危険を告げていました。心の中で誰かが「まただ」と泣いていました。別の何者かは「もう嫌だ」と叫んでいました。目の前に草原が広がるのと同じぐらい確かに、彼女は自分には明日が来ないことを悟っていました。
 なぜなのでしょうか。理由はわかりませんでした。でも、確かにそうなのでしょう。理由などわからなくても、確かにそうであることを、彼女は知っていたのでした。
 ただ、その不安や悲しみを面に出したところで、いったい何になるというのでしょうか。
 彼女は「月の巫女」でした。力を望まれたのです。そして、務めを果たすことによって、月の民の血が流れることが確かに減るのです。そう、彼女は「月の巫女」です。民の幸せ以上に優先すべきものが彼女にあるのでしょうか。力を望まれたのです。力を与えること以外に出来ることがあるのでしょうか。たとえ、彼女自身が何らかの代償を支払わなければいけないのだとしても。

「そう、私は、月の巫女。人外の存在だから」

 弱竹姫は、誰にも聞こえないように、そうっと言葉を風に乗せました。自分の成すべきことに納得をしているはずなのです。でも何故だか、そうでもしないと、自分が破裂してしまうような気がしたのでした。
 弱竹姫の唇から生まれたその言葉は、直ぐに風によって人のいないところにまで運ばれ、草葉のざわめきの中に消えてしまいました。もちろん、その言葉が生まれたことに気が付いた者は、誰もおりませんでした。


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