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月の砂漠のかぐや姫 第71話

 奴隷たちの言うことから、寒山にもおおよその状況が掴めてきました。
 どうやら、奴隷の少女が体調を崩して歩けなくなってしまったようでした。それを護衛隊の男が何とか歩かせようと槍の尻で小突いたりするのを、王柔がやめさせようと割って入ってきたところから、激しい言い争いに発展してしまったようでした。

「確かにあの奴隷の子は、少し前から調子が悪そうにしていたな。おおそうだ、王柔とかいう案内人が、旅の始めからしばしば奴隷の集まりの方へ足を運んでいたのは、あの子が目的だったのか」

 交易隊の隊長という役目から、寒山は交易隊全体としての行動を管理すると共に、交易隊員や荷物についても、細やかな注意を払っていました。
 その寒山の記憶によると、たしか、奴隷の子は、ヤルダンに足を踏み入れる直前に、一度酷く調子を悪くしていました。その時は、高熱を出していたようなので、奴隷を管理する役目の男に注意をするように伝えていましたが、ヤルダンに入ってからは体調を回復したようだと報告が上がって来ていました。
 また、吐露村にある王花の酒場で、寒山は初めて王柔を案内人として紹介されたのですが、村の外に待機していた交易隊と合流した時に彼が見せた驚きの表情を、十数日経った今になって、改めて思いだしました。それは、案内人が仕事の上で見せる表情ではなくて、人間の素の感情がそのまま表に現れたものだったので、とても印象に残っていたのでした。
 交易隊が土光村へ向けて吐露村を出発してから、休憩や野営の度に、王柔は奴隷の連の方へ足を運んでいました。それは目立たないように注意深く行われていましたが、隊全体に注意の目を配っている寒山には、把握されていたのでした。
 今にして思えば、王柔が当初見せた驚きの表情は、奴隷の中にあの子を見つけたからだったのかもしれませんし、その後の彼の行動も、その子が気になってのものかもしれません。もっとも、頭布を巻いている月の民の王柔に対し、奴隷の子は顔立ちからして明らかに異民族でしたから、二人の間に何らかのつながりがあるとも考え難いのですが・・・・・・。
 いずれにしても、このままヤルダンの中で留まっているつもりは、寒山にはありませんでした。
 奴隷が歩けないというなら、歩かせるまで。
 それが寒山たちの通常の感覚でした。
 彼らが生まれたときから、社会には「奴隷」という者が存在していましたし、ましてや、月の民の人たちは、月から来た者を祖とする民として、自分たちを特別なものと考えていました。
 ですから「奴隷」を自分たちと同じ人間だと考える感覚が、そもそも彼らには無かったのでした。彼らにとって奴隷とは、羊や駱駝を追いその毛や肉を加工するための大事な労働力ではありましたが、決して同じ民の一員ではなかったのでした。
 そのため、寒山がこの場を治めるために、奴隷をかばいたてする王柔を排除して、無理やりにでも奴隷を立たせようとしたことは、彼らの文化からしてみると当たり前のことでした。

「こら、案内人。お主の役割はここで奴隷の前に立つことではなく、隊の先頭に立って導くことであろうが。そこをどけっ」
「・・・・・・それはそうですが、隊長殿、この子はもう歩けません。少しでも休ませてやって下さいっ」

 皆の視線を集めながら寒山が放った言葉に対して、王柔は正面から反論することはできませんでした。それは、彼らの理屈では、寒山の言うことが正しいことが、王柔にもわかっていたからでした。
 でも、それでも、王柔には、黙ってここを去ることができませんでした。それは、彼の背で座り込んで苦しそうにしている、あの子のことが心配だったからでした。
 王柔は、寒山に向って、反論ではなく懇願を行いました。気の弱い彼には、それしかできなかったのでした。

「お願いしますどうか、少しでも、少しでも休ませてやってください・・・・・・」
「くどいっ。くどいぞっ、案内人!」

 ビリビリビリッと空気が震えるような、寒山の声でした。周囲では隊員や奴隷たちが、ざわざわと小声で話をしながら見守っていたのですが、寒山の気迫に押されたのか、その話し声は瞬時に止んでしまいました。
 ザアッと、ヤルダンを吹き抜ける風の音が、交易隊を包みました。
 王柔は、王花の盗賊団の一員ではありましたが、決して荒々しい男ではありませんでした。そのひょろっとした体格からもわかるように、戦いに慣れた男でもありませんでした。むしろ、非常に気弱な男であり、荒事に向かない性格だからこそ、王花の盗賊団の中でも、他の盗賊団との縄張り争いや、しきたりに従わない交易団との戦いに駆り出されることのない、「案内人」という役割が割り振られているのでした。
 その彼が、寒山のような歴戦の強者の一喝を受けたのです。それは、冬山で生じる雪崩を正面から受けたような、恐ろしい気迫と圧力でした。これが、あの子のこと以外のことであれば、例えどのようなことであっても、王柔はたちまち寒山の意に沿って行動をしたことでしょう。
 でも、あの子のことだけは。これだけは、どうしても・・・・・・。

「隊長殿、隊長殿・・・・・・どうか、どうか・・・・・・、お願いです・・・・・・」

 王柔は、身体や足元が震えるのを隠すことも出来ないほど怯えていましたが、それでも、その場を去ることをしませんでした。それどころか、彼を知る人が聞いたらとても信じられないことなのですが、お願いの言葉を口にしながら、馬上の寒山に向って近づいて行ったのでした。



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