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月の砂漠のかぐや姫 第63話

 盗賊に襲われてから数日の間、交易隊には大きな問題は生じず、羽磋たちは、ただ黙々とゴビを歩き続けていました。月の民の者は、辛い仕事や単純な作業に当たるときは、精霊に捧げる唄を歌いながら行うことが多いのですが、ゴビを歩く際には、唄を歌いながら歩くわけにはいきませんでした。
 その理由は「喉が渇くから」でした。
 これは、単純なことではありますが、同時に、命にもかかわる深刻な問題でもありました。水の補給が難しいゴビでは、精霊に唄を捧げて自分の気力を奮い立たせることよりも、喉が乾かないように、水分をできるだけ失わないように、黙って歩くことこそが優先されるのでした。
 そのため、交易隊の長い列からは、ときおり駱駝があげる少し気の抜けたような鳴き声や、男達が注意を促すために鳴らす指笛の音の他は、何も聞こえてこないのでした。
 狭隘となっていたところを抜けると、土光(ドコウ)村に向う交易路は、ゴビの真ん中を通るようになりました。交易路を歩く者たちの心と命の支えとなっていた細い川からも、すっかりと離れてしまいました。
 もっとも、道とは言っても、はっきりとしたものがあるわけではありません。遊牧の際と同じように、過去の経験からオアシスの場所などを導き出して、それを結んだ線を道とするのです。歩いていると、ときおり、駱駝や馬の骨が地面に散らばっていることがありましたが、これこそが自分たちが正しい道を歩んでいることを示す道しるべなのでした。
 足元は、背の低い下草がぽつぽつと生えているだけの、固く乾燥した土と岩からなる礫砂漠です。そして、それが見渡す限り続いているのです。小山もあります。台地もあります。崖もあれば、谷が走っている個所もあります。でも、そのほとんどの場所は赤茶けた土色で、その他の色はと言えば、日の影になっている場所の黒色しかない、それがゴビなのでした。
 交易隊で荷物を運ぶために用いられている主な動物は駱駝ですが、その世話をする者たちは、駱駝のわきを歩くことが義務付けられていました。また、護衛隊の男たちも多くは徒歩でしたし、馬を持つ者も、乗馬して馬に負担を与えることをできるだけ避けて、必要なとき以外は轡をとって歩くようにしていました。
 交易隊によっては、隊長と副隊長が乗馬しているところもありますが、腰の低い小野(オノ)が乗馬するはずもなく、そして、隊長が乗馬しないのに副隊長が乗馬することが出来るはずもありません。結果として、小野の交易隊では、すべての者が道中を歩き続けることが、常とされていたのでした。
 盗賊の一件以来、羽磋は護衛隊の一員として過ごしていました。
 交易隊に合流した当初は完全な「お客さん」だったのですが、羽磋にとってはそれが苦痛でたまりませんでした。自分から駱駝の世話をしている者たちの手伝いをしようとしても、「留学の方にそのようなことをさせられません」と断られてしまいました。中には、あからさまに迷惑そうな顔をする者までもおりました。
 それはそうなのかもしれません。駱駝にも一頭一頭に気性の違いというものがありますし、他人が世話をして体調や機嫌を損ねたりすれば、結局、交易隊の者がその後始末に追われることになってしまうのですから。横から突然に入ってきた者には大人しくしていて欲しい、そう彼らが思ったとしても、無理のないことなのでした。
 羽磋が「自分は留学の徒で、肸頓(キドン)族の根拠地へ行くのが仕事だ」と割り切っていれば、それで良いのかも知れませんが、彼の生真面目な性格がそれを許さないのでした。世話になっている以上、何かをせねばならない、そう考えずにはいられないのでした。ただ、そのように羽磋が努力すれば努力するほど、彼と交易隊の人々との間に、目には見えない幕が降ろされていることを、実感することとなってしまうのでした。

「ああ、輝夜もこんな気持ちだったのかなぁ。俺なんか、まだ数日しかたっていないのに、こんなにも気持ちが疲れてしまった。あいつは、毎日、一体どんな気持ちを抱えていたんだろうか」

 そのような疎外感を感じるたびに羽磋が思いだしたのが、輝夜姫のことでした。
 彼女は、バダインジャラン砂漠で過ごしたあの夜に、羽磋にだけは、自分が感じている疎外感を訴え、「月の巫女」として特別扱いされるのではなく、他の人と同様に扱ってほしいのに、村人との間には透明な幕がおろされているようで気持ちが通じ合えない、という悩みを伝えていました。
 羽磋は羽磋なりに、その悩みを真剣に聴いていたつもりでしたが、やはり、自分がこのような立場になると、本当にはその悩みを理解できていなかったのだと、痛感するのでした。
 すっかり気持ちが疲れてしまった羽磋でしたが、これは自分の力が役に立つのではないかと思って行動できたのが、盗賊の待ち伏せの有無を確認するために、苑が飛び出していった、あの場面だったのでした。
 そこで自分がどれほど役に立ったのかは彼には判らなかったのですが、結果的に冒頓に気に入られることとなり、以降は、少なくとも護衛隊の面々とは気の置けない関係となっていました。
 そうです、羽磋は、あの盗賊の一件をきっかけとして、ようやく交易隊の中に自分の居場所を作ることが出来たのでした。



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