月の砂漠のかぐや姫 第22話
◆
ゴオオオッ! シゥウウッ!
膝をつかせた二頭の駱駝の間で、少しでも砂と風から輝夜姫を守ろうとして、羽は彼女に覆いかぶさっていました。
周囲を窺うために耳を傍立てる羽でしたが、砂嵐が立てる音とは明らかに違う音が近づいてきていることに、気が付きました。
高く鋭い音。そして、猛々しく無慈悲な音。
シュウウウオオオオオオ‥‥‥! ヒュウヒュウッ!!
振り返って確認するまでもなく、羽には判っていました。竜巻です。竜巻が二人に近づいているのです。
自分の身に替えても輝夜姫を守りたい、そう心から望んでいたとしても、羽にできることは限られていました。駱駝と自分の身を盾にして輝夜姫を風と砂から守り、竜巻が逸れてくれることを精霊に祈ること、ただ、それだけでした。
「お願いします。お願いします。どうかどうか、輝夜をお守りください。お願いします‥‥‥」
羽は、自分の非力さを呪いながら、ひたすらにまじない言葉を唱え続けました。
輝夜姫は、どうだったのでしょうか。
もちろん、彼女の耳にも砂粒が激しく打ち付ける音は聞こえていましたし、それに加えて、竜巻が立てる異音がだんだんと近づいてきていることも感じていました。
でも、不思議なことに、彼女の心は次第に落ち着きを取り戻してきていました。相変らず、状況はよく飲み込めていないのですが、おそらく自分が駱駝から落ちて怪我をしたのだろうということは判ってきました。それに加えて、羽が「自分が守るから、ここでハブブをやり過ごそう」と言ってくれ、自分の身を盾にして砂嵐から自分を守ってくれているのです。その羽の真剣な言葉と身体の温かみ、それらが彼女の不安を和らげているのでした。
輝夜姫は、意識が朦朧としている間に、何かの夢を見ていたような気がしていました。それは自分なのか、それとも、自分ではない別の月の巫女の話なのか、定かではありません。遠い遠い昔の記憶のような気もしますが、そこでの自分は、幼いころの自分ではありませんでした。
不思議です。ぼんやりとしか思い出せないのですが、自分が月の巫女として何かをしようとしていたような気がします。誰かを守るために、人外の自分の力を発揮しようとしていたような‥‥‥。
もし、自分にも、月の巫女として、そのような力があるのであれば。
羽は、自分を犠牲にしても、わたしを助けようとしてくれている。
わたしに、もし、できることがあるのなら。
わたしは。
わたしは、羽を守りたい。
羽の身体に守られながら、いつしか、輝夜姫の想いはその一点に集約されていき、それと同時に、彼女の意識は今ではないいつかここではないどこかへと、飛んでいくのでした。
◆
ビイビイイイイッッ。
突然、烏達(ウダ)渓谷に鏑矢の音が響き渡りました。
阿部が、渓谷の両側の山頂にあらかじめ潜ませていた男が、鏑矢を放ったのでした。
既に日は高く上がっており、谷底に広がる草原にも直接その力を及ぼしていました。朝方は山から谷を通って草原へ吹き下ろしていた風の向きは、山肌や谷底が日の力で温められることにより、しばらく前から、草原から谷を通って山の方へ吹き上げるように変化していました。
落ち着かない様子で祭壇の周辺をうろうろとしていた大伴は、鏑矢の音にハッと顔を上げました。大伴が祭壇の方に向き直ると、祭壇に腰をかけていた阿部が杖を突いて立ち上がり、祭壇の中央を振り返るのが目に入りました。阿部の表情は、とても重苦しいものでした。
祭壇の周りに立てられた旗竿からは、朝方とは違って、細長い旗が草原側から山の方へと吹き流されていて、まるで、清流の中で白黄色の魚の群れが遊んでいるかのようでした。
祭壇の中央に用意された机の前には、弱竹姫が真剣な表情をして座っていました。そして、その傍らには、目深に頭巾をかぶった秋田と呼ばれる男が、手に真っ白な羽衣をもって佇んでいました。弱竹姫は座っていましたので、秋田が頭巾で隠している顔を見ることができました。
でも、彼がどのような感情を抱いているのかを、その表情からうかがうことはできませんでした。なぜなら、秋田の顔は、兎の顔を模した面で隠されていたのですから。
渓谷中に響き渡った鏑矢の音は、あらかじめ取り決められた合図だったのでしょう。
秋田は、手にしていた羽衣を無言で弱竹姫に手渡すと、阿部と大伴に祭壇から離れるように手で促し、自らもゆっくりと草を踏みしめながら歩き、祭壇から距離を取りました。
祭壇の周囲を警戒していた兵たちも、ある者は興味深そうに祭壇の方を向きながら、また、ある者は不安そうに谷の入口の方を向きながら、祭壇から離れた場所に固まっていました。
もう、祭壇の上には、弱竹姫しか残されていませんでした。
弱竹姫の膝の上には、真っ白な羽衣が載せられていました。彼女の目の前の机の上には、敷布の上に、五色の光を放つ「竜の玉」が置かれていました。
弱竹姫は、膝の上の羽衣に視線を落としていました。彼女にも、この先がどのようになるのかは判っていないのです。ただ、「月の巫女」である自分に御門(ミカド)が期待している事柄、月の民のために阿部が計画した事柄、そして秋田がそのための祭祀の方法を説明した事柄を引き起こす力があることは、確信していました。
それと同時に、秋田が説明しなかったこと、つまり、その代償として自分が大事な何かを失うであろうことも、理由はわかりませんがわかっていたのでした。
「来た、御門殿が来たぞおっ!」
谷の入口の方を気にしていた兵が、叫びました。
谷の入口は広大な草原につながっています。その草原の先で、土煙が上がっているのが微かに見えました。大伴や兵たちには、大地が振動していることも感じ取れました。
どうやら、先ほどの鏑矢は、山の上からこの動きを確認したことの合図だったようでした。遠くの方でうっすらと見えているに過ぎなかった土煙は、どんどんと大きくなってきていました。
やがて、その土煙を通して、こちらに向って駆けてくるたくさんの人馬の姿が見えてきました。男たちが馬の背で上げる大きな声、馬が大地を蹴る力強い音が、谷へと流れ込んできました。それは、遊牧民の軍勢でした。数多くの遊牧民の軍勢が、この谷の奥へ向けて走りこんできているのでした。
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