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月の砂漠のかぐや姫 第37話

「あれは、まだ、俺が十二の頃の話だ‥‥‥」

 思い出し思い出ししながら、大伴がゆっくりと語り始めたその話は、彼が前置きしたように、少し長いものになりそうでした。それは、大伴がまだ羽磋と同じ年の頃の話でした。
 大伴の話を一字一句聞き漏らさないように、全身を耳にして聞いている羽磋でしたが、父の話を聞いていると、とても不思議な気持ちが、自分の内に湧き上がってくるのでした。
 それは「父上が十二の頃、ちょうど今の自分と同じ頃の話」なのです。もちろん、父にも子供の頃があったということは、頭では理解しています。しかし、物心ついた時から、羽磋にとって大伴とは、分厚い掌と大きな背中を持ち、先頭に立って遊牧を引っ張る頼もしい存在だったのです。
 そして、大伴は注意深く自分の気持ちには言及せずに話をしていたものの、羽磋にはその話は少年大伴の恋の話に聞こえたものですから、どこかこそばゆい不思議な気持ちが羽磋の心に浮かび上がってきたのも、仕方がないことなのでした。


 大伴は、まだ皆から「伴」(とも)と呼ばれていた十二歳の頃に、貴霜(クシャン)族の讃岐村から双蘼(シュアミ)族の筑紫村へ出されました。それは、月の民の中で行われる一種の「人事交流」でした。
 幾つもの部族の集合体である月の民は、それぞれの部族の融和と意思の疎通を促進するために、将来それぞれの部族の中心となるであろうと期待をされている若者を、他の部族へ出して数年間過ごさせるという習わしを持っており、伴もその将来を嘱望された若者の一人だったのでした。
 伴は、今の大伴の堂々とした様子からはとても想像できないような、引っ込み思案の内気な少年でした。自分が表舞台に立つことは無く、常に誰かの傍らに控えていることから、皆から「伴」と呼ばれていたほどでした。
 しかし、仲間を想う気持ちは人一倍強く、大事なところでは皆がびっくりするような思い切りのいい判断をして、皆の先頭に立つ一面もありました。
 そのような長所を評価されての筑紫村行きだったのかもしれませんが、それは、伴にとってはこの上もない苦痛だったのでした。


「考えてもみろよ。引っ込み思案だった子供の頃の俺が、初めて訪れる他族の村でずっと過ごすわけだぜ」

 この頃のことを語る大伴の口調には、懐かしさに加えて苦々しさも混ざっていました。


 双蘼族は、ゴビの東の端で、南北に広い範囲で遊牧を行っているのですが、その遊牧生活の中心となる村の一つが筑紫村でした。
 村は祁連山脈の南東の高地にあり、祁連高原への入口となっていました。高地にあることから、冬には大変厳しい寒さが訪れるのですが、村は大いに栄えていました。
 なぜなら、村がある地域一帯には温泉がいくつも湧き出しており、地熱のせいでしょうか、村の周囲には豊かな草原が広がっていたからでした。
 筑紫村には、祁連山脈沿いに広がっていた竹林の中で拾われて、大切に育てられた「月の巫女」がおりました。その娘は、拾われた場所の近くに温泉の源泉があったことと、そのとても温かな心持ちに由来して、皆から「温姫」(オンヒメ)と呼ばれていました。
 温姫は伴とちょうど同じ年齢でしたが、その年齢よりもずっと大人びた雰囲気を持った少女で、接する人みんなを温かく包み込む、大きな優しさを持っていました。
 そうです、異族の村に溶け込みたいものの、どうすれば人と打ち解けることができるのかわからずに孤立していた伴を救ってくれたのが、この温姫だったのでした。


「少女の頃から、それはそれは美しい女性だったよ」

 温姫について語る大伴の声が、ゆっくりと空へ上がっていきました。


 温姫と伴とは、笑い話のような出会いをし、それから、伴は温姫を通じて村人たちと打ち解けることが出来始めたのでした。
 筑紫村で、伴がいつも一緒に過ごした仲間は、温姫、温姫の乳姉妹で同い年の庫(クラ)、自分と同じように他の部族から出されて来ていた阿部(アベ)でした。阿部は伴たちより五歳年長で、既に成人していました。
 また、彼等には、共通の憧れの存在がありました。その男の名は御門(ミカド)、庫の十歳年上の兄であり、その優れた能力を評価されて、双蘼族の若者頭を務めていました。
 古いことから新しいことまで何にでも興味を示す博学の男で、特に温姫は実の兄のようにこの男を慕っていたのでした。
 伴が双蘼族に出されて一年ほどたった秋の事でした。
 毎年秋の終わりの頃には祁連山脈はすっかり雪をかぶって真っ白になるのですが、地熱の恩恵を受けている筑紫村の周りでは、ようやく草地の葉が枯れ始める時期にあたっていました。
 夏から秋にかけての間は双蘼族は筑紫村を拠点に放牧を行うのですが、秋が終わるこの頃に、放牧隊は冬を比較的温暖な低地で過ごすために低地への移動を考え始め、村に残るものは冬を越すための準備を始めるのでした。
 もっとも、このような遅い時期にまで高地に留まることが出来るのは、地熱の恩恵を受けている双蘼族の筑紫村だからできることで、筑紫村を通り抜けた先の祁連高原を夏の放牧地としている貴霜族の放牧隊は、夏の終わりにはこの場所での放牧を切り上げて、祁連山脈の北側にある低地、すなわちゴビの台地へと山を下りていくのでした。
 例年ならば、季節は緩やかに秋から冬に変わっていきます。しかし、どうしたことか、その年はあれよあれよという間に、気温が下がっていったのでした。
 「このままでは村は冬を越せない。家畜も人もみんな死んでしまう」と村人たちは大騒ぎになりました。
 当然です、これまで、このようなことは、一度も起きたことがなかったのですから。
 その大混乱の中で、まだ村に留まっていた御門は、温姫、庫、阿部、そして、伴を連れて、祁連山脈の中にある温泉の源流へと向かったのでした。オオカミなどから身を守りつつ慣れない雪山を歩く道のりには大変な困難が伴いましたが、なんとか彼らは源泉へたどり着きます。
 そして、そこで温姫は精霊と会話を交わすことに成功し、問題となっていた恐ろしいものを排除することによって、村に再び温もりを与えることができたのでした。


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