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旅する本屋さん

いつはじまったのか、それはぼくにもわからないのです。
もしかしたら、ちいさな遺伝子がぼくのなかに宿っていたのかもしれません。あるとき、芽が出るように仕組まれていたのかもしれませんね。
生まれた時から旅好きだったと、ぼくは思っているのです。

本を読むようになったのは中学生くらいだったでしょうか。旅の本をあきることなく繰り返し読んで、自分で行くことを夢見ていました。本を読むたびに想いが募っていくのです。旅に恋していたのかもしれません。知らない街へ、どこか遠くへ。

海を越えようとは思っていませんでした。高校生のころ、ある新聞記事に目が留まりました、上海へ船で行くことができると書いてありました。不思議と胸がざわついた記憶があります。「いつかこの船にのるかもしれない」。

2年越しに大学受験した多くの大学へは合格できず、たったひとつ合格通知をくれた奈良の大学へ通うことになりました。いろんな外国語をおしえてくれる学部に在籍し、旅のクラブに所属します。学費と生活費は、住み込みではたらく新聞店からのお給料と奨学金。いろんなひとに助け船をだしていただきました。

人生はまったくの想定外であることをその時こころにきざみます。
それでも「不思議なご縁」というものがあることにもきがつきます。
ならば、いまいるここで思わぬ人生を楽しんでいけたらいいだろうと、教えてくれたのは数々の本たちでした。良い本も悪い本もありません。自分が本の海、本の森から見つけ出してくるのです。

想定外の大学に入り、出会ったのが「上海行の船」でした。ここでまたこの船に出会うとは思ってもみませんでしたが、乗ることはあの時に決まっていたのかもしれません。ふとしたことが心にのこり、意志としてかたまりになっていたのでしょう。

どんなひとにも、その人にしかわからない「言葉の宇宙」が存在します。そのかけらを拾い集めながら生きていくのが「おもしろい旅」でもあるような気がします。「どんな本がよい」とは言わない本屋を、いつの間にかはじめていました。たぶん「不思議な意志」のかけらをあつめすぎたせいでしょう。

食べていくために電池工場で働いているのですが、なりわいは本屋です。でもよく考えると、そうでありたいとどこかでおもっているだけかもしれませんね。わからないことは多く残っていますが、そのわからないことを調べて試して考えて、乗り越えていく楽しみは、残されています。本の海の向こうに。

旅する本屋をしていると、不思議な旅人に出会います。想像できないような不思議ないきかたをしているひともたくさんいます。海をわたると、その何倍も不思議なできごとに出会います。

「旅する本」はいかがですか?

あなたの心のなかにある「本当の不思議な私」をみつけませんか?
ねむる「こころざし」をちょっとだけ起こしてあげましょうよ。


やすらかに 眠るおもいは いまいずこ 海にだだよう 小舟ににたり 

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