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一人の気づきには限界があるからファシリテーションはウェザーリポートになる

前回、ファシリテーションの歴史をおさらいした。

コツとしてまずは時間を守ろうという大前提の話をした。次は、ファシリテーションの技法の話をまとめようとしたが、最近のファシリテーションのあり方として、プロセスワークの話を取り上げたい。

プロセスワークとは何か

プロセス思考心理学(プロセスワーク)の提唱者であるミンデルの著作。日本プロセスワークセンターの教員の人が関わる本書。日本向けにわかりやすく説明している。

なお、このプロセスワークのベースは老荘思想や道。ユングをベースに物理学の視点や合気道とその組み合わせは多岐にわたるのがユニーク。ただ、言わんとすることは場のつかみで、これは空気読みに近い。

この書をミンデルを持ち出したのは、ファシリテーションする人は中立性を保てるのか?という問いがあるからだ。中立性がファシリテーションの務めに見えるが、それぞれの立場によって用いる言葉が変わることを本書を読むと感じる。

ファシリテーション中に感じる客観性の是非

ファシリーテーションを経験した人ならわかるが、相手の意見を繰り返すし理解を示すことは相手そのものになる瞬間が生まれる。これを違う意見の人から見れば、誘導や先導に見える瞬間がある。

もちろん、そんなつもりはないので、対向意見の人の話にも乗っかるのだが、そうなるとまるで自分自身がどっちの意見でもありどっちの意見でもない状態になる。これは中立というより、振れ幅の中で揺れていると捉えた方が良い。

本書であれば、ファシリテーターも役割(本書の言葉ではタイムライン)の一人に過ぎないことが見えてくる。

上から以上の天から見た視点で、ファシリテーションをした自分を見るという角度が必要だ。そのためには、今ここにいる場を知る必要がある。本書では場のことをフィールドと定義している。

ファシリテーターはフィールドの一員である

フィールドとは空気のようなものと言ったのは、

ミンデル本人がフィールドの概念をここでは mmh(ムムム)としているからだ。空気を感じ取った時の表現で良いだろう。17:55前後を見ると、よりニュアンスは伝わるとは思う。

フィールドにおいてファシリテーターは、他のメンバーと役割は異なる。ただ、ファシリテーションはリーダーシップと同様にメタスキルに過ぎない。その上でその役割すら手放すことができる。この視点が大事だ。

私たちは、リーダーとして、そしてフォロワーとして、流動的かつ多面的に振る舞うことが可能になるからです。

P.115 対立を歓迎するリーダーシップ 組織のあらゆる困難・葛藤を力に変える
役割(ロール)としてのファシリテーター

よって、フィールドことその場に対しての振る舞いは、冒頭で感じたゆらぎを持っていいと判断できる。あっち行ったりこっち行ったりを他者を通じてコントロールしながら話し合いに参加するイメージだ。

空気の重さを天気予報士のように捉える

フィールドは、空気と捉えると重たい空気だなーと感じることがある。その口火にファシリテーター自ら状況を打開することもあると感じる。場の空気は山の天気のようにコロコロと変化するからだ。

そう考えて読んでいると、ウェザーリポート(天気予報士)のように振る舞うといいというアドバイスがあって納得した。現在の状況を伝えることは気付き(ミンデルはアウェアネスと定義)を与えることにつながる。

この気づきは一人では無理で、集団の中で気づく必要がある。だから、ファシリテーションする人が今まるまるが起きていると伝え続けることが必要なのだろう。天気予報なら曇ってきた雨が降っている。雷が鳴ってますか?と問う感じだろうか。

対立は二軸を見る

このフィールドの理解と振舞による気づきは、対立軸において有効としている。男女や人種差別問題を話し合う事例が載っている。

軸を見つけたら、気づきを与えるのだが、違いの壁をまずは認識する必要がある。本書ではフィールドに現れた見えない壁(エッジ)としている。この対立を明らかにするには衝突から浮かび上がらせることが求められる。

ファシリテーションはこの壁を出現させる役割で、衝突をウェザーリポートすることで、気づかせる立場でもあると私は捉えた。

喧嘩するほど仲がいいとはいうが徹底的に燃やせ

紛争がなぜ起きるのか。

戦略の第一人者であるルトワックの視点を借りれば、他者の介入により、不完全燃焼となり、遺恨が残るからだと読み解ける。本書でも薪を燃やして、燃やし続けて鎮火させて落ち着かせるまで衝突が必要と解説している。

燃やし尽くして初めて相手のことを考える余地ができるのだろう。喧嘩するほど仲が良いは規模が大きくても会議であっても子供の喧嘩であっても一緒じゃないかと思えてくる。

相手の立場になって考えるとは

本書では相手の立場に実際になるロールプレイをする。ロールスイッチ読んでいるが、2on2の考え方に似ている。

よく、話をするだけして相手が座っている椅子に座り直して、相手の立場になって考えるというロールプレイがあるが、それに近い。その考える余地のためには、自分の言葉を燃やし尽くす必要があるのだろう。それが対話だ。

ファシリテーションは手放すことにある

ミンデルのいうデタッチメント(手放す)が、ファシリテーションにおいて必要なのが伝わる。この説明がタオイズムや合気道の視点があって難しいが、陰陽や易経に触れていると少し掴める話かもしれない。

この手放すの体験は、私ごとの体験から説明してみる。小学生の時にデタッチメントを体験したことがあると気づいたからだ。

小学生高学年。国語の授業で手を上げて討論する場があった。題材は「大造じいさんとガン」だったと思う。このとき、私の意見がリーダシップとなり、違う意見の子と対立するという経験をした。

様々な意見が交わされて、私の意見に賛成だ反対だとクラス内で盛り上がった。リーダーとして振る舞った意見の代表者である私や対抗意見の子が強化されていく。これは対立軸を元に場が燃えていると言える。

ところがだ。このとき、私は盛り上がりのピークであっさり反対意見である対立した側の気持ちが突然わかった瞬間が起きた。そのまま相手の言う正しさが理解でき、私はあっさりと相手の意見に寝返ったのだった。

これが、デタッチメントだと言える。

そのまま、私の代わりのリーダーが現れて、また議論が白熱するのだが、これもリーダーシップがメタスキルに過ぎないことがよくわかる。

今日の敵は明日の友で、また敵にもなる

天気の話のように長い時間軸なら無情が常。喧嘩や議論や戦争を持ち出したが、それはフィールドの理解から始まる対立軸。このフィールドの捉え方が、ファシリテーターの発見次第で変化する。

そして、壁(エッジ)を見つけ、意見を燃やし尽くして、相手の立場をウェザーリーポートしつつ、交換を体験させる。自らも攻撃者になったり、リーダーを手放したり、ファシリテーションをやめたりする。

中立すらも手放した結果、生じたものが本来えたかったものへと変わる。これがファシリテーターに求められることかもしれないと本書を通じて感じた。

つまり、リーダーシップだろうがファシリテーションだろうか帽子のように被ったら、被り直したり相手の帽子を被ったりを続けていくときに、言語化を繰り返すと突然そうかと相手の気持ちがわかる瞬間が訪れるのだろう。

この発散から収束に向かう瞬間の体験の見せ方がファシリテーションの力であり、みんなでできることでもある。対話であるという意識で流動的に状況をつかんでいくことが現代のファシリーテーションの在り方と思えた。

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