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【短編小説】あの世とこの世の間には

この深い森の何処かにあの世とこの世の間の世界に通じる洞穴があるって、2年前の春に亡くなった爺ちゃんが言ってた。

今日は真理子の月命日だ。この森の奥にある小さな湖の側の立派な欅の木の根元に真理子の宝箱を埋めた。真理子の骨壷がわりに。その上にその周りで僕が持ちあげられる一番大きな石を置いて墓石の代わりにした。

真理子は7年前この森に入ったきり、戻ってこない。もう戸籍上はあの世の人だ。
でも、僕は彼女はきっと爺ちゃんの言っていた何処か知らない世界に迷い込んだと思っている。僕は希望を捨てずにこの村に帰ってから週末はずっと森で彼女を探している。

僕は今年の7月で25歳になる。彼女がいなくなった時、僕は彼女と同じ18歳だった。僕と彼女は小学校からずっと同じクラスで、大学を出たら結婚するはずだった。ー 尤も田舎だから元々1クラスしかないが。

僕は一度この村を出て、都会で暮らした。彼女と一緒に通う筈だった大学に通うために4年程。僕の夢は外交官になって彼女と一緒に海外で暮らす事だったが、結局は中学の英語の教員になって、この村に帰ってきた。

だからって後悔なんてこれっぽっちもしていない。僕の優先事項は彼女と一緒にいる事。それじゃなきゃ、僕は僕じゃない。だから、いまこの村の中学で教鞭をとっているのはごく当たり前の選択だ。

それに僕は一人っきりじゃない。この村に残っている幼馴染みの健ちゃんと由紀子がいる。由紀子はケンちゃんのことが大好きで、彼女から告白して二人は高校を出るとすぐに結婚した。今は村に一軒しかないよろずやを継いでいる。

村の住人は300人くらいだが、まあ生きていく分には困らないらしい。最近は小さな喫茶店をよろずやの隣にオープンして、年金暮らしの年寄りで賑わっている。

僕は週末は大抵森に来ている。昨年8月の終わりに湖の近くを通った時、人のような声を聞いた。最初は強い南風が木の葉を揺らす音か鳥の声かと思ったが、どうも人の声のように聞こえた。

声が聞こえた湖の方へ歩いていくと、盛り上がった湖面に女の人が映っていた。湖面が波立ってハッキリとは見えなかったが、女性のようだった。声はハッキリ聞こえた。「ヒロくんヒロくん」と繰り返し僕の名を呼んでいた。

あれは幻覚じゃない。真理子が僕を呼んでいたに違いなかった。ケンちゃんに言わせると空耳だと取り合ってくれなかったが、あれから僕は捜索の半分をこの湖の監視に当て、あとは森の中をあちこち探している。

あの湖には何かあるのかもしれない。小さな頃から爺ちゃんが言ってた。あの湖には近づいちゃダメだって。湖の主に引きずり込まれるぞって。

爺ちゃんだけじゃなく、ケンちゃんのばあちゃんもそう言ってたとケンちゃんが言っていた。

もしかしたら、違う世界への洞窟はこの湖の下にあるのかもしれない。真理子はここにひとりで来て、ひきづりこまれたのだろうか。

僕は自分の仮説を確かめたくて、8月を心待ちにしていた。ダイビング用具一式をそのために揃えた。僕はこの夏にこの湖の中を探してみるつもりだった。

今年の梅雨明けは例年より一週間程早かった。まだ8月までには日があるが、梅雨が明けて湖が再び透明感を取り戻したのを見て試しに潜ってみた。

水深は中心部を除けば大体2メートルくらいだ。澄んだ綺麗な水だが、底には木の葉がけっこう堆積しているようだ。栄養豊富なのか、藻があちこちに生えていて綺麗だ。

緑鮮やかな藻の中を小魚の群れが通り抜けていく。湖や池にブラックバスやブルーギルを離してしまう愚か者がいるらしいが、この村にはそんな不届き者はいないのか、ここには小魚がいっぱいいる。

小さな湖なので、僕はぐるっと回ってみることにした。するとあちこちで湧水が湖底から吹き出しているのが分かった。この湖の綺麗さはこの豊かな湧き水のおかげのようだ。

美しい光景を楽しみながら、湖の中を散策していると、白く丸いものが少し先の湧水の側にあるのを見つけた。

急いで近づいてみると、それは人の頭蓋骨だった。僕は驚いてパニックにになりそうだったが、心を落ち着けてその周りを泳いでみた。

すると大腿骨や肋骨などが散らばっていた。僕はそれを見届けると、湖から上がり、着替えて村の駐在所に行った。

駐在に湖の人骨のことを話すと、事件の全く起きないこの村始まって以来の事件に、可哀想なくらい動揺していたが、この辺りを管轄している警察署に連絡をし、駐在は現場にすっ飛んでいった。

僕から人骨があった場所を聞き、駐在は人が近づかないように規制線を張った。

警察署から刑事を含め10名くらいが駆けつけてきた。だが、誰も潜れる用意もなく来たため、結局僕が駆り出された。僕は現場の水中写真を撮り、骨を拾ってくることになった。

初めて見た時は怖くて仕方なかったが、人がいるせいか、2回目は怖さはさほどなく、撮影をした後に、頭蓋骨と周りに散らばった骨を袋に入れて警察に渡した。骨は一人にしては結構な量だった。

岸から3メートルくらいのところが現場なので、ウエットスーツさえあれば、タンクを背負わなくても骨は回収可能だったろう。普通、民間人にやらせたりするだろうか。まあ田舎だから仕方ないか。

警察は骨と僕の水中カメラを持ち帰り、身元を調べるとの事だった。少なくともそれまでは事件かどうかわからないとの事だった。

夕方にケンちゃんの喫茶店に寄って今日あった話をすると、「もうあそこには怖くて行けない」とケンちゃんは本気でビビっていた。

あの湖はこの辺りの子供たちのいい遊び場であり、ちょっとしたピクニックにいい場所だった。

子どもの頃、僕もケンちゃんと由紀子と真理子とよくあそこで遊んだ。湖で泳いだりもしたし、網で魚取りもやった。懐かしい思い出だ。

あの骨は誰なんだろうか?もしかして真理子ってことはあるだろうか?僕は真理子じゃない事を祈った。でもあそこは森の中にあり、この村に住んだ事のある者でなければ行かない所だ。

真理子が湖に入水自殺なんてする訳ない。ここで誰かに殺された?そうだとすると村人が犯人ってこと?僕は日が経つにつれて、おかしな想像を膨らませていった。

骨が見つかってから4日経った。僕はこの日当番で中学校に登校していた。お昼に僕は駐在から電話を受けた。

見つかった人骨の歯形と一致する記録が隣町の歯科で見つかったという事だった。僕にカメラを返すから、駐在所にきてくれといわれた。

夏休みで特別な事はないので、もう一人の当番の先生に学校は任せて僕は駐在所に向かった。

案の定、その日も駐在は慌てていた。僕の姿を見つけると駆け寄ってきて、慌てるなよという。心の中で「お前が落ち着けよ」と思ったが、彼の話を聞いた。

「驚くなよ。あの骨は7年前に行方不明になったここの小学校の教師だった天野伸宏先生のものだったよ。自殺だったようだ。お前も確か天野先生が担任だった時があったんじゃないか?」

そういえば、僕が小学6年の時の担任だった。女子にやたら触る気持ちの悪い先生だった。真理子もあの頃天野先生は嫌だってよく言ってた。

僕は不謹慎にもあの骨が天野先生と聞いて、ホッとした。真理子かもしれないと内心覚悟していたから、天野だと聞いて真理子でなくて良かったと思った。

天野先生は転勤先の小学校で女児に悪戯をして、懲戒免職になっていた。それが直接的な原因で、離婚して今では全く身寄りがなかった。それでこの村の無縁仏としてこの村のお寺に葬られている。

真理子はどこにいるんだろう?僕は週末は湖に潜り、それ以外の時間は森を探す生活を続けた。そして8月末を迎えた。去年は真理子の声を湖で聞いた。盛り上がった湖面に女性の姿を見た。

僕は今年も何か起こるような予感がしていた。日が暮れかかりそろそろ帰ろうかとウエットスーツをバックにしまっていた時に、急に南風が強く吹いてきた。

すると、青白い光が人の形になって湖の中から持ち上がった。真理子だった。あの頃の、18歳の、僕の真理子だった。

僕は立ち上がり、その姿を見つめていた。というより、体が動かなかった。

真理子は切なさそうな表情で「ごめんね、ヒロ。でもきっとまた会える。私あなたが迷わないように待ってるから。それまであなたはこの世界で自由に生きて。ごめんね、一緒にいれなくて」

そう言って、青白い光は湖の中に消えようとしていた。。
「真理子-!。俺を連れて行ってくれ!」すがるような声だった。

僕は湖に飛び込んで青白い光を追った。光はゆっくり湖底に真っ直ぐ向かっていた。そして湧水が吹き出しているところに吸い込まれていった。僕はそれを見て同じようにその湧水の吹き出し口に向かっていった。

湖底にぶつかると思った瞬間、僕の体は光と同じように吸い込まれていった。気がつけば広大な芝生の上に横たわっていた。

僕はここが何処か検討がついていた。ふわふわ浮かびながら、辺り一体を探した。

小高くなった丘の上に小さな湖があった。何人もが湖のそばで湖面を覗き込んでいる。その中に真理子の姿があった。

僕はすぐに真理子の元に行き、後ろから抱きしめた。真理子は笑顔で僕の方に振り向き、首に手を回して抱きついてきた。

僕は喋ってこの思いを伝えようとしたが、喋ることが出来ない。でも真理子の心はハッキリ伝わってくる。真理子も同じようだった。ここでは喋らなくても相手と交流できるようだ。

僕は真理子に尋ねた。
「ここって爺ちゃんが言ってたあの世とこの世の間?それともあの世?どうして君はここにいるの?」

真理子は僕の頭の中に伝えてきた。
「ここはあの世とこの世の間。死んだらここで次に行くところが決まるまで過ごすの。天国はないのよ。あの世はこの世で次に生きるところなの。私たちは何度もこの世に生まれ変わっているのよ」

「君はあの森で死んだのか?だからここに来たのか?」

「いいえ、私は森じゃなく・・・由紀子の実家で殺されたの。由紀子はケンちゃんが私のことを好きだって知って、取られたくなくて私を家に呼んだの」
「私はなんとも思ってないって由紀子に言ったんだけど、あの時の由紀子は私が知ってる由紀子じゃかった」
「睡眠導入剤を入れたコーヒーを飲ませて、首を絞めて私を殺したの。ここに来てからはヒロがどうしているのか心配で、毎日さっきみたいに湖を覗いてあなたのことを見てたの」

僕は意外な事実に戸惑っていた。4人は子どもの頃から仲のいい幼馴染みだと思って疑わなかったから、ショックだった。まさか由紀子だったなんて。


「君の遺体はどこに?」

「由紀子の家の納屋の下よ」

あとひとつどうしても聞きたいことがあった。
「君は言ったよね。僕を待てくれるって。本当に僕が次にここにくるまで待っててくれるのか?」

「ええ、きっとここで会える、それは確か。ここの持ち主にそういわれたから」
「それよりあなたはそろそろ元の世界に帰らなきゃ。ここはまだあなたが居るとこじゃない」

「わかった。もう一つだけ教えてほしい。次に君に逢うとき僕は何を目印に君だとわかるんだろうか」

「大丈夫。私とあなたは運命で結ばれてる。心で私を呼んで。そうすればわたしからあなたに近づくから。もうお別れよ。元気でね」

気がつくと僕は真理子の欅の墓のまえに倒れていた。僕にはもう淋しさとか悲しさとかは全くなかった。むしろ心は温かく頭はスッキリしていた。

僕はケンちゃんの喫茶店に行った。そして真理子に会ったことを話した。言いにくかったが、由紀子と真理子の事をケンちゃんに伝えた。

由紀子を責めても今更真理子が帰ってくることはないが、由紀子が苦しみながら生きてゆくのを黙って見ていることはできなかった。

ケンちゃんは僕の話を100%信じたわけでは無いだろうが、念のため由紀子の実家の納屋の下を掘ってみると言った。

その日のうちに、ケンちゃんは由紀子を連れて派出所に出頭した。由紀子は素直に犯行を認めた。由紀子はこの日から僕の恋人を殺した悪女になった。ケンちゃんはその原因を作った夫になった。


あれから10年経った。僕は相変わらず8月末は湖に潜っている。真理子には毎回叱られるが、1年に一回あの世とこの世の間を訪れている。真理子は今のところどこにも行かないで待っててくれている。

僕にとって死は怖いものではなく、真理子と二人の生活が始まる喜ばしい日になった。
僕は死を畏れない。死は生の始まりなのだから。


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