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noteを始めて1ヶ月

noteを始めて1ヶ月が経ちました。始める前から存在は知っていたのだけど、なんとなく始めるきっかけがなかったこのnote。「2021年は今後に関して決断する年になりますよ」と信頼している占い師から言われたこともあり、また、去年の年末あたりから、先々のことを考えると「もやもや」し出していたこともあり、自分のことを整理する意味合いも含めて始めたnote。

これまで自分に起きたことやそこで感じたことを振り返ることで改めて見えて来る自分像。自分の好きなことってなんだろう、今後どうしていきたいのだろうという模索と整理のために始めてみたnote。

よって、正直お題も内容もバラバラで、見返してみるとあっちに行ったり、こっちに行ったり。

ただ、日々何を書こうか考えている時間は楽しいのと後から冷静になって見返せるのは面白いなと。もちろん、書いた内容への反省もあるのだけど。

もう何十年もいわゆるサラリーマンというのをやってきて(本当はカッコよくビジネスマンと言いたいが、世界中を飛び回って、タフな交渉とかをしている訳ではないので、こうは言えない。まあ、こういう仕事をしていないとビジネスマンと言ってはいけない決まりもないのだけど)、安定的な収入と地位も確保出来たと思っている。安泰はサイコーなのだろう。多分。

ただ、特にここ数年、なんか喉に魚の小骨がつかえたような感覚が抜けきらない。これの正体はなんとなく分かっている。そう、この先仮に出世したとしても、いつまで経っても「使われる側」という点だ。もちろん、「使われる側」だから安定もあり、定期的な収入もある。安心感も持てる。良い面もある。

働きたくても働けない、或いは安定しない人もいるだろう。そんな中ではとても贅沢な悩みだというのは理解している。

でも、自分の人生。話を聞いてくれたり、意見・アドバイスをくれたりする人がいたとしても、最後は自分で行き先を決めなければならない。これまでもそうしてきたはずだ。
未成年または学生で親の保護下にある期間を除いて。

現所属先は早期退職制度があるでもなく、そういう制度を作ろうという動きもなく、コロナで少なかれ痛手は被っているものの、明日潰れてしまう訳でもない。むしろ、影響は他と比べたら少ない方。減給もなければ、減俸もない。

ただ、なんだろう。コロナがあったり、地震があったり(ここ最近の地震ではなく、東日本大震災や熊本地震など)とパンデミックや自然災害が激しく起きる中で、お金とか地位とかではなく、生きた軌跡を残したい。少なくとも自分の中で残したい。こういったことに重点を置くようになったんだと思う。

そんな思いで何かしらを記し、残していくことが何かしらの意味を持ち、次の生き方にヒントを与えてくれることを信じて、noteを続けていきたいと思う。

もちろん、色んなクリエイターの方々とここで繋がって、良い刺激をいただけたら、また与えられたら、こんなにサイコーなことはないと思っています。

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