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読書記録 | 大江健三郎の「死者の奢り」における異様な世界での恍惚と抒情性

読書の趣を変えて少し非日常的なエッセンスを混ぜてみたいと思えば、SF小説やホラー小説、ミステリーなど奇想天外なものを選ぶことも一つの選択肢ではあるのだが、極めて特異な世界でありつつ現実にあるかもしれないものを味わいたい場合、大江健三郎の短編の世界を読んでみるのもいいかもしれない。

そう思って本棚から取り出したのは「死者の奢り・飼育」という短編集である。
以前「個人的な体験」を途中で断念してからというもの数年ぶりの大江健三郎である。

何せこの「死者の奢り」は、はじまりから大学の地下、死体処理室が舞台の出来事というところから、もう非日常的な異様な現実感が突きつけられる。

閉鎖された環境と異様な静けさは、時を選ばず文章として表されても独特の閉塞感を感じるものである。

その中で主役の遺体搬送処理バイトの青年の意識が死に対し恍惚めいたり、死者の生前の姿を想像したり、そうかと思えば現実に戻ったりする浮き沈みが、作中の保管水槽に着けられた被検体の遺体の浮き沈みと対を成して、一種異様で特別な空間に読者は受け取るかもしれない。

青年はこのように死してなお研究道具として扱われる遺体を〈個体〉として表現するなど、まだ使役される分良いではないかのような考えが見える部分があり、異様な光景から日常あり得る光景へ意識が慣れの方向へ向き始める部分など、死という非日常の出来事に距離を詰めたような絶妙な表現が多い。

もう一人の登場人物である女子学生の存在は、生と死のコントラストを際立たせるための材料としての材料として非現実的な創作色を強く感じるものの、作品を盛り上げるのに欠かせない。

読んでいくと気がつくのは、サバサバしてどこか気障な物言いに現実こんなこと言うかな?と思う登場人物の言動のそれぞれが、どこか村上春樹氏の小説でよくある気障な言動に似ているような気がしてくる。

どちらかと言えば年代的に、その逆の村上春樹氏の小説の登場人物の言動が大江健三郎の小説の登場人物に薄っすら似せてあるような気もする。

では「死者の奢り」というのは何なのか。

終盤に手違いによる搬送作業のやり直しが生じ、遺体は火葬されることとなるのだが、主人公の青年から見ると、”死者め、下賤な者として見られるのを我慢している俺に散々運ばせておいて、最後は焼いてくれなんてわがままじゃねえか"という気持ちを表したものかもしれないと思うのは私なりの解釈である。

 





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